川崎の事件に思う

昨日の川崎殺傷事件。
子供たちがスクールバスを待っていたところを切りつける。
刃物を振り回した男は身柄を確保されたときに自ら首を切って死んだのだという。
今日になってニュースを見てみると男のことが少しずつわかってきた。
小さい時から突然切れるタイプで近隣とのトラブルも。
 
大都市に住む人間の鉄則として
この人関わったらやばそうだという人は絶対関わらないほうがいいんだな、
と改めて認識した。
近づいてはいけないし、近づきそうになったら全力で避ける。
もちろん、そのとき刺激してはいけない。
 
昔ならばそういった危険な人物も
暮らす町の中で支え合って問題が起きないようにしてきた。
それが今は孤立してしまっている。
妄想染みた憎しみも深まっていくばかりだ。
これから先ずっと、こういう世の中なのだろうか、と思う。
 
僕も明日、刺されて死ぬかもしれない。
地下鉄の中で刃物を振り回す男が出てこない、とは言い切れない。
そういう場面を思い浮かべてみる。
僕はなすすべもなく血を流して死ぬのだろうか。
犯行に及んだ男を食い止めるために立ち上がることはできるだろうか。
 
潜在的に危険な人が沸点に達する前に
事前に察知して食い止めることはできないのか。
政府や社会にできることはないのか。
その場に居合わせることはあくまで事故なのか。
確率論の問題なのか。
 
しかしその対策もおかしな方向に進んで
包丁一つ買うにも資格や許可がいる世の中になるのか。
あるいは町のいたるところで身体検査を受けるようになるか。
それで救われる命はあるのだろうか。
ほんのわずかでもあるのならば、やるべきなのだろうか。