『龍の伝言 ねぶた師列伝』

先日新書を読んだのに続いて、ねぶた師について書かれた本を取り寄せて読んでみる。
澤田繁親という方の『龍の伝言 ねぶた師列伝』という本。
(ノースプラットフォーム、2006年)
 
開いてみたら冒頭、中上健次との対談。思わぬ拾いものだった。
1985年、著者が主催して梅原猛中上健次を招いた「縄文シンポジウム」のときになされたもの。
このとき梅原猛中上健次はハネトの衣装をまとってねぶた祭に参加したのだという。
中上健次ガルシア・マルケスのコロンビアは山の地方と海の地方に分かれ、
山の地方でつくられた民話や神話が海の地方に持たらされ、渦を巻き、蓄えられる。
それは青森のねぶたもそうなのだと。その血なのだと。
物語とはそのようなぶつかり合いから生まれる。
そこから新宮へ、ソウルへ、縦横無尽にリンクしていく。
 
もうひとつ、パフォーマンスアートで有名な浜田剛爾との対談も。
ねぶたとは縄文である、あの赤は縄文の赤であると喝破され、
なんで自分はそんな当たり前のことにこれまで気づいていなかったのだろうと悔しく思う。
三内丸山遺跡を挙げるまでもないこと。
 
印象的な話があった。
洋画家、斎藤真一はパリ留学から帰ってきたときに先輩藤田嗣治の教えもあり、東北を訪れた。
ねぶた祭に感銘を受け、瞽女のことを聞く。女性の、盲目の、三味線を弾き唄う門付芸人たち。
彼は瞽女の絵を描き、長年に渡って熱心に通いその話を聞いた。引用します。
「その瞽女さんたちと話をした時にね、五歳とか十歳とかで目が見えなくなった人が、
 あの夕日の赤い色とか、あの空の青い色とか、
 そういうふうに鮮やかな色のことを語るんだそうですよ。
 彼の絵は非常に明るい色というか、独自の赤ですよね。赤とか青とか原色で」(p.76)
 
ねぶたが描いてきたもの、語り継いできたもの、この現代社会に流れついたものは
生命の根源にあるもののぶつかり合いなのだなということを改めて思う。
そこで流されてきた血の記憶なのだと。
傷ついた身体の外側で、脈打つ身体の内側で流れた無数の血が混ざり合って大河となり流れる。
それが本来のねぶたなのであろう。