カップ焼きそばというもの

妻がこういう本があるよと教えてくれる。来週出る新刊本。
『ぺヤングソースやきそばで学ぶ問題解決力』
 
強い思い入れがあるのか、
カップの焼きそばに何かを学び、何かを託す人が世の中多い。
以前、こういう本も話題となって続編が出た。
『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』
 
妻曰く、カップの焼きそばは普通の焼きそばとは
全く別の食べ物として確立していると。
そう思う。そういうのって結構ある。
ラーメンと二郎の関係もそうかもしれない。
 
カップ焼きそばは「湯切り」というところにひとつの工夫というか、
カップ焼きそばをカップ焼きそば足らしめる存在の立脚点があるように思う。
考えた人は天才かもしれない。
そして今、湯切り口はどんどん進化して、
僕らが子供の頃はお湯でふやけたかやくの細かいのがどんどん流しにこぼれていったのが、
今となってはそんなことで悩む必要がない。
 
以前、カップ焼きそばのかやくって少ないよなあ、
別売りしてくれないかなあと書いた。
最近僕はフリーズドライの野菜(キャベツ、ニンジン、玉ねぎ)や
揚げ玉を独自に足して作っている。
千葉の港で買った海苔、青海苔、鰹節のミックスも一緒に。
あとはカップヌードルで言うところの謎肉的なものが入手できたら言うことはない。
 
エースコックの大盛いか焼きそばが生産終了とあって
スーパーで見かけたときに両手にもてるだけ買って、それを何日か繰り返して、
20個弱のストックをつくった。
気が付いたらそれを全部食べ切っていた。
先々週、何も考えずに食べていたらそれが最後の一個だった。
知ってたら上に書いたトッピングをなにも入れずに
裸のままの状態を楽しんだのだが。惜しいことをした。
大盛いか焼きそばよ、さらば。
 
日清のカップヌードルなんかで、
粉末か液体のスープが袋に入っていて
お湯を入れてそのまま食べるとラーメン、お湯を捨ててスープを混ぜると焼きそば、
そういうの商品化されないかな、と思う。
何の意味があるのかと言えば、何の意味もない。
ただ面白そう、というだけ。
気分に応じていろんな食べ方ができる、というのがいいんじゃないかと。