顔に現れる

昨日、高校の友人たちと飲んだ。
あれこれ話した中で盛り上がった話題のひとつが、
夏に青森で同窓会的な飲み会があったときに撮った写真が何十枚と
LINE のグループに投稿されたのを見返して、
これって誰だっけ? と。
「俺にそっくりだけど誰? こんなやついたっけ??」
 
久しぶりに顔を出したら
女性はきれいになったとか男性はおっさんになったとかで
誰かは思い出せても、全然変わりすぎていて
パット見分からなかったという人がいる一方で
僕を含めそこにいた皆が、高校の頃から全然変わってないという話で。
(どんなに間が空いても数年おきに会ってるからというのもあるが)
 
高校を卒業してから四半世紀。
全然変わらないという人と、変わりすぎていてわからないという人の
二極化が進んでいるように思う。
これってなんだろう。
過ごした時間の優雅さや厳しさといったもので人の外見はいかようにも変わるのか。
それとも DNA によるものなのか。
様々な理由により整形するに至ったという人もいるだろう。
 
高校時代の同級生という集団から離れてそこにもはや戻る気のないという人がいた場合、
その人は根っこにある共通の型、プロトコルのようなものを手放して
僕ら側からすると「変わってしまった」ということになるのかもしれない。
違う世界、向こう側の世界に住んでいて交わらない、そんな異邦人の顔となる。
逆にそういうったプロトコルを手放さずに何重にもまとった人もいるということになる。
 
どこにも属さず、どこにもつながらず、何の特徴もない顔の男や女がいて、
そういった男たちや女たちの集まりがあって、
何の変哲もない部屋で何の変哲もない言葉を抑揚もなく交わす。
そんな場面を思い浮かべる。何の情感もなく、何の喜びもない。
過去を捨てた男たち、女たち。