昨晩の新日本風土記は再放送で、テーマが「山口」だった。
面白い風習が取り上げられていた。
その集落では「日参様」と呼ばれる神様を大切にしていて、
持ち運べる可能な小さな社にそれは祀られていて、
回覧板のように家々を回るのだという。
ある家に届けられたらその家で一日か二日祀られ、また次の家に渡す。
賽銭箱のような役割も果たしていて、その家ではいくばくかのお金を入れる。
その管理を代々引き受けている家もあって、預かったお金を神社に持っていく。
「日参様」が来るのは年に2回ほどとなる。
面白いのはその家はどの家から受け取ってどの家に渡すのかは
長年のしきたりで決まっているが、
その全体像を把握している人はいないのだという。
自然発生的に生まれたものが今も続いているのだろう。
誰かが全体の流れを管理しているのではない。
今どの家を回ってるのか、知るすべがない。
今来ているというその家の周辺の人だけとなる。
形骸化はしていない。
受け取った人は通り一遍の対応をして終わるということはなく、
きちんとその神様を大切に扱っていた。
今も信仰の対象となっていた。
(もちろん、テレビは一部を切り取るだけなのでもてなしの程度は様々だろう)
神様は常に同じところに下りてきて、とどまって、
人々がそこを訪れるというのが一般的なスタイルだとしたら
ここでは真逆で、人々の家は変わらずにそこにあって神様の方が移動する。
その「移動」という行為の現れにこそその神様を神様足らしめるものがある。
社そのものは木でできた何の変哲もないものに過ぎない。
中心がなく、周辺だけがあるというシステム。
管理がなく、仕組だけがあるというシステム。
初めて聞いたように思う。
いや、世界のどこかには類似の例があるのだろうか。
とりあえず今のところ僕は思いつかない。