未来の納骨堂

朝、通勤途中の妻から LINE が。
中吊り広告を見ていたらとある納骨堂が、
お参りに行くたびに墓石を選べる、お参りが楽しくなる、と。


最近こういうスタイル増えてますよね。
ロッカーのようになっていて自動的に運ばれてくる。
機械式の駐車場のように。
そのとき、受付時にモニターで選んだ墓石が運ばれてくるのだろう。


青山墓地に始まり、都心のアクセスに便利な墓地は全然空きがなく、
区画を増やして売り出すと、一見家が買えるぐらいのとんでもない価格になる。
ロッカーのような自動搬送式の墓地が都内に増えるのも当然か。


しかし、こういうタイプの納骨堂に足しげく通う人っているのだろうか。
やむを得ない事情でそこにせざるを得なかった人たちは別にして。
墓石を選べて楽しいという理由の人は、たぶん買ってそれっきりになるんじゃないか。
ここに収めておけば草むしりの必要もない。


墓地の余地もないという都市は一握り。
どんな未来になっても、結局墓地に墓石というスタイルは残り続けるのではないか。
どれだけ電子書籍の時代になっても紙の本がなくならないというのと同じように。


特定のモノに宿る、場所に宿る、そこにこそ霊というものが下りてくるのではないか。
その場限りの媒体にダウンロードするというのではなく。
そんなふうに考える僕は古い人間なのか。