昭和の終わり

平成31年1月8日。
31年前の今日、平成という元号が始まっている。
夜、NHKをつけたらクローズアップ現代でその日のことを振り返っていた。
脚本家の中園ミホがこの頃デビュー、平成の間を通じて女性を描き続けた。
この日赤ちゃんを産んだ母親。
吉田戦車の『伝染るんです』が初めて入稿している。


この日僕がどうしていたかのか、もちろん覚えてはいない。
でも、幻の昭和64年の一週間がどんなだったか、うっすらとした感触がある。


1989年、僕は14歳になったばかりだった。中学2年生か。
雪国の冬休みは15日の成人の日までのはずだが、
昭和最後の日、1月7日は学校で過ごした記憶がある。
登校日だった気がする。そうだ、学力別の補修の日だ。
昭和天皇崩御ということで早く帰ったんじゃなかったか。
いや、あるいは静かな混乱のうちに最後までいたか。
そのどちらでもあったような気がする。
カレンダーを調べてみたらこの日は土曜。出たとしても午前中までか。


あの頃、教室の窓際に薄い箱型の暖房設備が設置されていた。
スチームではなく、ストーブでもなく。温風が出てたかな。
箱型ということは座ることができるが、
座るためには作られていないからへこんでしまう。
だから先生たちも絶えず注意することになる。
休み時間、そのへこんだところに座るのがひとつのステータスだった。
当時スクールカーストという言葉はなかったが、
最もカーストが高いクラスの人気者やヤンキーが座ることはなかった。
なぜなら彼ら彼女たちが座りたくなったらいつでも座ることができたから。
そのときは下のカーストの者たちは譲らなければいけなくて、
それゆえに中の上ぐらいのカーストの者たちが一番熱心にその場を占めようとした。


僕は中の上でもなかったから普段座ったことはほとんどなかった。
でもその日はクラスが学力別になっていたから
僕は最上級のクラスにいて、カーストがリセットされていた。
休み時間、僕は暖房器具の上に座ってみた。
お尻がとても温かかった。暑すぎるぐらいに。
そんなとき、昭和天皇崩御のことを聞いたのだと思う。
外は雪、でも温かな空気が流れていて窓は分厚く水滴がこびりついている。
そこに女の子たちが、『お父さんは心配性』だとか漫画のキャラクターを描いたりしていた。


昭和50年に生まれて、まだ13年ちょっと。
昭和という時代が終わるということに対してたいした感慨もない。
学校が終わって、誰かと一緒になって、雪玉を作って投げながら帰ったのだと思う。
いつもの、それまでのように。その冬はずっとそうしていただろう。
僕にとって昭和の終わりとか平成の始まりというのは、そういう記憶。