年賀状というもの

昨晩、お年玉付き年賀はがきの当選番号を確認してみた。
何年ぶりだろう。10数年ぶりか。
もしかしたらその間、一等や二等が当たっていたかもしれない。
だとしたらもったいないことをした。


なんで今年は確認したかというと正月早々くじ運がよかったからで、
2日はねぷたの里でルーレットの独楽ふたつの目を当ててサザエさんのカレンダーをもらったり、
3日は棟方志功記念館で一等を引いて図録をもらったり、と立て続け。
これはひょっとしたら流れが続くんじゃないかと思ってみてみたが、
妻と僕と切手シートがひとつずつという普通の結果に。
一等の現金30万、ぜひ当てたかったが…


改めて届いた年賀状を眺めてみることになる。
OJTを担当した子から今も届くというのはうれしい。
このPJの方たちとは今もやりとりがあるな。
大学の先生たちはなぜお年玉付き年賀はがきではないんだろ。
いつも手書きをメッセージを添えてくれる人が今年何もないというのはちょっと不安になる。
などなど。
12月、印刷したり手書きで一言添えるのはめんどくさいなーといつもなるが、
1月に入ってからはやっぱ年賀状っていいなと思う。
SNS などで提供するデジタルなものではなく、手書きのものがいい。


昨晩は小学校の時の担任の先生から届いた。
荻窪の時の住所に出して、戻ってきたのだという。
別の年賀ハガキで出し直すのではなく、封筒に入れて送ってきた。
今日の朝、届きましたよと電話してみた。
今どこですか?
というので会社からですと答えたら、あらお仕事中? と。
だけどそこから20分ほどワーッと先生が近況を。
その後、先生と話したと母にも電話を。


先生は70歳を超え、昨年は倒れて入院も。
いつ人とおしゃべりできなくなるかわからないから、
今は周りの人とたくさんおしゃべりするのだということを語っていた。
年賀状をきっかけに僕と話すことができてよかった、とも。
僕の方も、よかったと思った。