狭山湖一周を走る

昨晩、妻が明日天気が良かったらドライブに行こうという。
どこ? と聞くと武蔵村山市に「かたくりの湯」という温泉があって、
そこをランニングステーションとして狭山湖一周のジョギングができると。
いいね、となる。
調べてみると狭山湖をぐるりと取り囲む13kmぐらいのランニングコース。
湖のほとりというよりもほとんど山道だが、
フェンスに沿って行けば一周できるようになっていて途中は信号もなく、走りやすいという。


8時に起きて9時過ぎに車に乗って行く。
ユーミンの3枚組ベストをカーステレオに入れる。
和光、朝霞、新座、所沢、武蔵村山というルート。
所沢の駅前って面白いですね。ファルマン通りの辺り。
昭和の商店街がまだ残っている一方でニョキッと高層マンションも。
盃横丁という飲み屋街もあった。
所沢には今航空公園があるが、日本で最初に飛行機が飛んだ場所。
そのときに飛んだのがアンリ・ファルマン号。


西武球場多摩湖を過ぎて「かたくりの湯」へ。
フロントで走ってから温泉に入りますと言うと、
コインロッカーに荷物を入れて、その鍵をフロントに預けることになる。
家で既に走る恰好に着替えてきていて、後はダウンジャケットを脱ぐだけ。
さっそく走り始める。
ランニングコースが道路の両側にあって、
自転車で走っている人やウォーキングを楽しんでいる人たちがチラホラといる。
事前に聞いていた通り、ずっとフェンスが続いていてその向こうは保全林か。
200mおきに狭山湖ダムを起点とする距離が表示されている。
それを見つけながら進んでいけばいい。確かに道に迷うことはなかった。
天気が良く、陽射しの中を走っているとすぐにも暑くなってきた。


狭山湖のダムに出る。湖面は青く、空も青い。
右側の斜面を下ると高校なのだろうか、グラウンドでサッカーの練習をしていた。
その向こうに住宅地が広がる。遠くに西武園の観覧車が見えた。
まっすぐな道を走り切る。
ホテルが何軒か固まっていた。安手のリゾートホテルのようでいて休憩と宿泊の料金表示が。
最近のラブホテルはどぎつくなく、さらっとしている。
建設業者などをいくつか過ぎると完全に山道。
舗装されてなくて砂利交じり、しかもアップダウンが多い。
妻のペースに合わせてゆっくり走った。
2時間ちょいかかったかな。1キロ7分台前半。


木々の間を走るのは気持ちいいですね。肺の中の空気を入れ替えたかのよう。
途中、歩いている人たちや走っている人たちとすれ違うと、こんにちはと挨拶を交わした。
ところどころ公園として整備されてベンチやテーブルが用意されているところに出て、
弁当を広げている人たちや芝生に寝っ転がっている人たちがいた。
それ以外はダムの直線道以外は9割方山道かな。
信号に出会うこともないし、走りやすい。またここで走ろうと思う。


ジョギングコースの北側が埼玉、所沢市で、
南側が東京、瑞穂町や武蔵村山市所沢市が入り混じっていたかな。
瑞穂町は先週、高校時代の友人の葬儀で来ていたばかりだ。
そうか、位置関係的にこうなっているのか、ということを考えながら走った。
瑞穂町は八高線の駅がひとつあるだけの田舎町で、青森に似ているなと感じたことを思い出した。
友人も青森に帰るに帰れず、こういう場所に住んだのだろうか。


「かたくりの湯」に戻ってきて温泉に入る。
昨年3月に改装したばかりで新しく、きれいで気持ちよかった。
市営なのかな、武蔵村山市民だと安くなる。
日曜の昼、駐車場も洗い場もいっぱいになることはないのは経営的にうれしいことではないんだろうけど、
そんなに混んでないのは利用する側としてはありがたいわけで。穴場ですね。
ここのユニークなところは温水プールが併設されていること。
次は水着を持ってこようと思った。


風呂から上がって食事処で牛筋の味噌煮込みをつまみに生ビールを飲みながら妻を待つ。
妻は天ぷら、刺身、蕎麦の御膳を。
僕は「柚子肉味噌と春菊の出汁豆乳そば」女子栄養大学が監修のメニュー。
市営だからかそんなに高くはない。
平日限定のメニューとして穴子天丼や牛筋丼が。おいしそう。
でも、こういうとこって平日はお年寄り以外ほとんど利用者がいないんだろうな。


「かたくりの湯」を出る。
隣りに民俗資料館があったので立ち寄ってみた。
入口には市内の模型図。小さな町だな、と思う。
展示は土器や住居跡から始まって、村山大島紬や機織り機、農作業の器具、
昭和初期? のトースターや冷蔵庫まで。
獅子舞といった年中行事の紹介や古い雛飾りなども。
民家の室内を再現した一角があって、婚礼の食器や赤飯といった食事が再現されていた。
こういった食器を各家庭で持つことはできないので昔は組合を作って組合で保有した。
しかし生活が豊かになってそういう時代でもなくなって、やがて組合は解散したという。
解説を読んでいてもうひとつなるほどと思ったのが
伝統の踊りだったか、かつては青年団が維持していたのを昭和43年に解散、
その後は保存会が結成されて伝統芸能の保存がなされたと。
昭和43といえば西暦にすると1968年、革命の季節。
都心の大学だけではなくこういった田舎町にも若者たちには変化の波が押し寄せていたのだな。


温泉に入っている間に雲が増えてきて
資料館に入る前、雪が少しだぱらついたが、それがまた晴れた。
来た道を引き返し、帰ってくる
夕暮れに染まる所沢の町。
いいドライブとなった。