超能力というもの

小さい頃、四次元や超常現象やUFOの本ばかり読んでいた僕は
もちろん超能力というものに憧れた。
1980年代半ば。
毎月のようにユリ・ゲラーが来日して木曜スペシャルといった番組で
スプーン曲げを披露して、平井和正原作の映画『幻魔大戦』も公開された。
 
テレポーテーションでもいいし、サイコキネシスでもいいし、透視でもいい。
テレパシーでもいいし、なんなら予言でもいい。
月間ムー系の何かの本を買ったときの付録についていた
ESP能力をテストするためのカードで練習してみたりもした。
 
もちろんテストするまでもなく
自分にはそんな超能力などないということがわかっていて、
カードも何回かやって飽きてそれっきり。
 
中学校に入る頃には洋楽に興味が移ってその手の本を読むこともなくなった。
しかし、あの日諦めることなく今に至るまでずっとずっとずーっと続けていたら
どれかひとつ身についたりしたんじゃないかということをふと思った。
目の前に置いた軽くて小さな物体に意識を集中して、集中して、集中して、
極限まで集中できたら僕はその物と一体化して、
触れずして宙に浮かべることができるようになる。
最初はほんの一瞬だったのが長い時間持続するようになって、
少しずつ重いものを持ち上げられるようになって……
 
自分にはそれが可能だという信念をもって諦めずに続けていたら今頃は……
実は誰にでもそれが可能で、生まれつきすぐできる人も一握りいるけど
通常は30年・40年の継続的努力を要するものだとしたら。
 
続けていたら僕は、その能力が身につかなかったとしても
全然違う人間になっていただろう。
うまくいかなかった分だけ自分はこの世の陰の真実を知っているという選民思想にかられ、
引きこもり、周りの人間を見下すようになっていたかもしれない。
同じ目的を持った仲間を探し求めるうちに宗教団体に入信していたかもしれない。
自分には修行が足りない、信心が足りないのだと。
 
なんかそういう日陰者を主人公に一本書けそうな気がするな……
世の中に対して鬱屈したものを抱えたまま大人になって
超能力で復讐をしようとただそれだけを目的に生きている。
安アパートで怪しげな健康食品にはまり、
友だちもなく、世の中のあれこれに徴候を見出そうとする。
なんだか出来損ないの、中途半端な孤独。
そんな彼の元に、本物の超能力者が現れる。
彼は、あれは彼女は、そのとてつもない大きさの能力をひた隠すために
日陰の道を何十年と生きてきた。