地下のバーにて

昨日は午前中飯田橋に出社して仕事、
妻は昼から迎賓館近くの小さなシアターで観劇。
15時過ぎに四ツ谷駅周辺で待ち合わせて、どこかで飲みながら一休みするか、となる。
しんみち通りの商店街を歩きながらよさげな店を探すうちに車力門通りの飲み屋街へ。
さすがにここはどこも夜から。
端まで行って杉大門通りと、すっかり町歩きになる。
猫の看板のカフェを路地裏に見つけたり、ペットショップでモフモフした犬を撫でたり、
アンパンマンショップがあったので入ってみたり。
 
ハッピーアワーで18時まで生ビール、ハイボール、レモンサワーが100円という
串揚げの店に入ったらなかなかよかった。
1時間ほど昼飲みして出ても17時前。まだ明るかった。
伊勢丹の地下と紀伊国屋書店に寄って帰る。
伊勢丹では「白馬錦」の酒蔵が来ていて高価な大吟醸まであれこれ試飲させてもらった。
ここは以前「氷筍酒」という辛口を買ったことがあった。
 
光が丘に戻って来て妻がもう少し飲みたい、南口で見つけた地下のバーに行ってみようという。
団地の間の公園を抜けて通りを渡り、地下への階段を下る。
小さな店で、ネットで見ると料理があれこれおいしいとあった。
マスターは今も音楽をやっているようで店の中にはドラムセットが置かれ、
ギタースタンドも何本か並んでいた。
ファンクやジャズを演奏する店内イベントの告知が壁に貼ってあった。
壁のモニターでは「English Man In New York」であるとか
80年代のヒット曲のビデオクリップが流れていた。
和歌山のクラフトジンや実山椒の入ったモヒートを飲んだ。
つまみに一皿だけ頼んだ真鯛カルパッチョが確かにおいしかった。
 
酒と音楽だけではお客が呼べないのだろう、女子会・ママ会大歓迎といったようなことが書かれていた。
実際、僕らが入ったときにはテーブルのひとつで小さい子供を連れた家族が食事を終えたところで、
残りのふたつのテーブルは予約済みで子どもたちを連れたママたちのグループが入ってきた。
気さくなマスターはポテトフライを揚げたり、グラスにジュースを注いだり、
その間僕らのオーダーも取っていたのだから大忙しだった。
そうか、地元のバーってこういうものなんだよなあと思った。
 
テーブルのひとつがママ友たち、もうひとつが娘たち、
さらにもうひとつのテーブルが後から合流したパパ友たちと賑やかになった。
しばらくすると娘たちも飽きてくる。
一人が楽器を弾いてみたいというのでマスターはギターを抱えさせた。
しかしそのうちに帰りたいとぐずりだした。
僕らもちょうど帰る頃だった。
居心地が悪かったのか、夜も遅かったからか。
小さいお子様のいるお客様は21時まででお願いしますと貼り紙がなされていた。
恐らく僕らのすぐ後で彼女たちも帰ったか。
 
思い出す。
僕ら一家は小さい時に青森港近くの飲み屋街である本町のアパートに住んでいた。
幼稚園の同じクラスの子の何人かの親がスナックや飲み屋を営んでいた。
あるとき、誕生日会に呼ばれると雑居ビルの中のスナックのひとつで、薄暗い部屋の中に
母親が精いっぱい用意した揚げ物などのパーティー料理が大皿にたくさん並んでいた。
皆普通に食べているんだけど、僕は一人もじもじして何も手をつけなかった。
スナックという初めての場所に何かしら汚らわしいものを感じ取ったのか。
無意識のうちにその一家を見下していたのか。
今思うとなんだかとても申し訳ないことをしてしまった。
 
さっき帰りたいと言った女の子はそういう理由ではないんだろうけど。
幼稚園の時に一緒だった人たちはその後どうなったか、
僕ら一家もその後引っ越しを繰り返して何もわからない。
あの当時のスナックはどうなったのか、大人になって青森を出て行ったのか。
もはや誰もそこにはいないだろう。