小田原へ 前篇

祝日。飛び石連休ってなんだか久しぶりのように思う。
7時半に目が覚めて、洗濯など行って9時前に家を出る。
この日はドライブ、以前訪れたことのある箱根の温泉に行くことになっていた。
近くのガソリンスタンドに立ち寄る。
妻に「百名城と言えば小田原城があるよね」という話をしたところ、
そうだ、百名城スタンプと御城印状が欲しいということになり急遽予定変更。
一度家に戻って百名城のガイドブックとスタンプ帳を探した。
 
環八から東名高速に乗って飛ばす。
渋滞せず調子よかったのでサービスエリアには寄らず、まっすぐ向かう。
途中から雪をかぶった真っ白な富士山が目の前に見えた。
 
11時前には着いただろうか。城の近くの駐車場に停めた。
大勢の家族連れや観光客が橋を渡って二の丸から本丸へと歩いていた。
レンタルした侍や忍者の格好をして走り回っている子供たちもいた。
この時期は梅祭りであちこちに白い梅が咲いている。
無料のボランティアガイドに城を案内してもらえるというので妻が頼んでみた。
Tさんという方が僕ら二人のために天守閣の前まで案内してくれた。
 
二の丸の前の門の前からガイドがスタートする。
小田原城はかつて三の丸もあったが今は市街地になっているという。
その三の丸に家臣たちが住んで、二の丸にお殿様が住んだ。本丸ではない。
本丸は徳川家光が江戸と京都を往復する際に宿泊する場所として利用された。
(だから本丸の瓦は葵の御紋で、二の丸の瓦は水害が無いようにと巴の紋だった)
この本丸や天守閣が1703年の地震で倒壊すると、天守閣は再建されても本丸は再建はされなかった。
その頃には世の中は落ち着いて、徳川家の将軍が京都を往復することがなくなったから。
小田原は地震の多いところで、関東大震災というと東京や横浜の被害ばかりが取りざたされるが、
震源地は小田原沖。小田原は97%の建物が失われた。
 
真っ白な壁には鉄砲を撃つための三角の穴と弓矢のための長方形の穴が規則的に並んでいる。
見上げると松の木がとても高く伸びて立派で、聞くと樹齢300年は超えているという。
他、場内には樹齢800年とも500年とも呼ばれているイヌマキの木も。
二の丸の銅門は土日祝日のみ中を公開していて、上がると奥に武士たちを模した人形が。
俗にいう「小田原評定」の場面を再現したもの。
その中に並んで記念写真を撮る。
 
天守閣の前まで行くと全国梅酒祭りと手裏剣投げ体験のテントで大勢の人たちで賑わっていた。
並んだテーブルはどこもいっぱいで小田原おでんや鯖肉すり身の棒など食べながら梅酒を飲んでいた。
かつてこの本丸には遊園地や動物園があって、象の檻が数年前まであった。今は猿の檻だけが残されている。
ガイドのTさんとはここでお別れ。あれこれ脱線しつつ親切にたくさん教えてもらって、なのに無料。
ありがたいものです。
 
聞いた中で一番面白かったのは、茶壷の話。
将軍様に献上するお茶の壺を運ぶため、中山道大名行列のように進んだのだと。
茶坊主がまるで大名のようにふんぞり返って、
無礼のないように町人たちも道端で土下座して迎えるか、家の中に逃げて戸を閉めたのだと。
その様子を歌ったのが童謡の「ずいずいずっころばし」で、
「ちゃつぼにおわれてどっぴんしゃん」というのがこのこと。
どっぴんしゃんというのは戸を慌てて閉めることを言うんですね。
 
天守閣へ。こちらは(確か)明治に入って取り壊されたのが
昭和30年代に再建されたもの。
下の階は主に北条氏の歴史と豊臣秀吉による小田原征伐の展示。
最上階の展望台に上る。
ぐるりと四方を見渡せた。
箱根の山、丹波山、太平洋、三浦半島や伊豆諸島。
天気の良い日で海が青く輝いていた。
足元には子どものための遊園地の鉄道が広がっていた。
残念ながら箱根の山に遮られ、富士山は見えない。