東日本大震災から9年。当時の日記を読み返してみた。
・3/6(月) ー 3/10(木)
この頃仕事が忙しかった。
神保町だったので天鴻餃子房や三幸園で昼を食べていた。
編集学校の方でも毎日図書館から本を借りてチェックするという作業を請け負っていた。
初めて教室を持つということでチラシもつくっていた。
・3/11(金)
この日、昼を食べ損ねて14時過ぎにキッチン南海へ。
食べ終えて戻ってきたころ誰かが揺れてる、と言い出す。
大きな揺れが2回来た。どうにか収まって外に出た。
携帯がつながらず、公衆電話に並んで母に電話した。青森市は停電だという。
15時半には解散となるが、電車も地下鉄も動いていない。
何人かはオフィスに残り、僕も荻窪まで歩いて帰ることにした。
皇居の入り口が閉鎖されていた。
会社から支給されたのかヘルメットをかぶっている人が割といた。
新宿通りを列をなして歩く。聞こえてくる話は皆淡々としている。
僕もこの日花粉のことを気にしていた。たくさん飛んでるなと。
Twitterを見るとお台場で火事だとかサーバールームに閉じ込められたとかそういうデマが広まっていた。
一方でSoul Flower Union とかいくつかのアカウントが役立ちそうな情報をRTしていた。
道がわからないのか、地図を持った警官を取り囲んでいる人たちも多かった。
17時頃新宿駅着。地下に入ると大勢の人が階段でうなだれていたり、新聞紙を敷いて座り込んだり。
地上よりもざわついている感じがした。
店は閉まっていて、バス停も女性のトイレも長蛇の列。
青梅街道に出る。動いているバスをたまに見かけた。
いくつかのラーメン屋や焼き鳥屋が営業していた。
この日もまた図書館へ。今思うと呆れるが、僕は
この日も図書館に返す本を10冊ぐらい紙袋に抱えて移動していた。
図書館は本棚が崩れることもなく、静かだった。
予約していた本を普通に借りた。
19時過ぎ、部屋に着く。CDラックや本の山が崩れて足の踏み場もなかった。
片付けが終わったのは22時近く。
Twitter を眺めて過ごす。地下鉄は動き始めたが、全線開通とはならず。
大学のキャンパスなど帰宅難民に向けて解放している場所のリストが出回ってくる。
戒厳令的なムードが解かれ、午前0時を過ぎて東京が少し落ち着いてきたのを感じる。
仙台沿岸で200人から300人の遺体が見つかる。
余震が続く。
・3/12(土)
8時に起きる。
セブンイレブンはおにぎり・弁当の棚が空っぽになっていて、
カップラーメンや菓子パンはほぼ品切れ。入荷が遅れていると貼紙されている。
ケーキやお菓子、ジュースやビールの類はまだ普通にあった。
ミネラルウォーターだけがごっそりなくなっている。
他のコンビニもそんな感じ。
下の階に住んでいた学生が前から予定していたのか引っ越しで部屋を出ていくところだった。
床屋もクリーニング屋も普通に営業中、工事現場は普通に工事中だった。
駅前の西友に行ってみると普段は24時間営業だったのが9時開店と貼り紙されていて、
なのに9時半でまだ開かず。
コンビニでカップヌードルを買って帰った。
編集学校の作業を進める。杉並区の図書館の在庫検索ができず。土日は閉館するという。
電車はだいぶ復旧したが一部運転見合わせ。
会社の後輩がこの日海外に出るつもりが、空港に辿り着けなかった。
福嶋第一原発で何かが起きているということと、
電力の供給が追いつかなくて
東京電力が今日の夕方と明日の夕方、停電を予定しているということを知る。
流れている様々なものをRTしていたが、なんでもかんでもRTしてるときりが無いことに気づいて減らした。
午後また西友へ。レジがこれまで見たことがないぐらい長蛇の列。
カップラーメンのほとんどと缶詰の棚の半分が空になっている。
ミネラルウォーターもなくなりかけていた。
それ以外は特に何も変わらない。
意外なことにいつも愛用の徳用ローストビーフが売れ残っていた。
ケーキの売り場では普通に苺のショートケーキが売られていた。
そしてそれを買う人がいた。
帰ってきて母に電話。青森市は停電が復旧、親戚も無事だったと。
停電回避のための「ヤシマ作戦」が始まる。
しかし、福島の原発はどんどんやばいことになっていて、
原発から3km以内の人は避難してくださいというのが10kmになり、20kmになり。
同じように死傷者の数も1000名、1500名、1600名と増えていく。
「原子炉に損傷なし」というニュースが流れる。
小学校の屋上のような建物に避難している何人かの人々の姿が。
ディズニーランドは当面定業停止。
TSUTAYAが繁盛しているようだ。
・3/13(日)
8時半に起きる。
コンビニではスカスカの棚が目立つ中で弁当が補充されていた。
東京メトロは全線平常通り運転。イベントは当面自粛。
Twitterを見る。
意見や主張の食い違いによる摩擦や衝突が見え始めた。言葉尻を捉えてあげつらう。
茨城も救ってくれという声と宮古が先だという声。
救援物資は送らないでください、仕分ける時間もない、とか。
千羽鶴は何の役にも立たないのでいらない、とか。
家族や友人の消息が分かって嬉しいですというのがよくRTされるけど、
その逆は一切目にしない。
・3/14(月)
普通に出社。会社から特に連絡なし。
東京メトロのサイトを見ると大幅に本数を減らしているとあった。
ホームはさほど混んでいなかった。
地上に出ると丸の内の巨大なビルの工事現場にて朝礼。
大きな声で「おはようございます!」と一言。
9時の時点で出社は本社も常駐先のPJルームも半分以下。
駅で入場規制がかかっている、そもそも全面運休(川崎など)といった理由で。
PJルームの臨時リーダーとなって、出社状況や案件状況を確認して報告する。
1日がそれで終わる。
オフィスは節電の一環としてエアコンを切って、日中は照明も消してブラインドを上げる。
出社してない人のPCはモニターの電源を消す。
昼はPJのみんなで下の居酒屋に行って食べた。
京急が15時半をもって運休すると情報が入り、沿線に住むメンバーが慌てて帰る。
福島の原発は2号機が危うくなる。
帰りに図書館に寄ろうとして紙袋に本を抱えてきたが、節電のため3月末まで17時で閉館と知る。
19時にオフィスを出る。神保町の町は何も変わらないように見える。
皇居も何もなかったかのようにひっそりとしている。
だけど市民ランナーの姿がない。
東京駅で乗った丸の内線はガラガラ。座って帰る。
気がついたら新宿では金曜夜の中央線のように混んでいた。終点の荻窪まで混んでいた。
この時間、銀座線と日比谷線は止まっていた他の路線からの
乗り入れ客がオーバーしたため運転見合せとなる。
・3/15(火)
次の3連休、もともと釜山に旅行に行くつもりでいた。
自粛したほうがいいかと一瞬考えるが、都内にいても気が詰まるだけとキャンセルしないことにする。
しかし月曜までに届くことになっていた旅行の案内が届かず。
電話して聞いてみるとてんてこまいのようだ。
東北・関東へと向かう国内ツアーが軒並みキャンセルされている。
夜、部屋にいたら大きく揺れる。静岡東部で震度6強。大きな余震が続く。
茨城にまで広がっているという巷の噂とか、
避難は30kmにまで拡大されたというニュースとか。
都心ではいっきに恐怖感が煽られたように思う。
この日の福島は雨。屋内にいるように呼びかけられているという。
昼、キッチン南海の前を通り掛かったら珍しく行列になっていなかったのでカツカレーを食べた。
編集学校の作業を進めるため、どさくさに紛れて15時に退社。翌日も出社を遅くする。
図書館に寄って帰る。
会社携帯に電話がかかってきて
明日、万が一、放射能が広がった場合に関する自宅待機の業務連絡が出たとのこと。
今日の朝、東京駅地下の成城石井の前を通り掛かったら、普通に食べ物が豊富に売られていた。
コンビニの食べ物はいったん元に戻りつつあったのに、地域によってはまたガラガラになっているようだ。
夜は寝付けず。朝は余震で目が覚めた。
・3/16(水)
ホリエモンに対して「逃げないのか?」「なぜ余裕なのか?」
みたいな質問が多く寄せられてて、それに対してホリエモンが都度
逃げる必要はない、その根拠はないと返している。
余震が続く、計画停電ところどころあり、買占め問題。
それ以外は都心もだいぶ落ち着いてきたんじゃないかと。電車の本数もだいぶ戻ってきた。
最初の5日間を過ぎて、本当に事態が落ち着いただけではなく
慣れや麻痺のようなものが生まれてきたのではないかとも思う。
福島第一原発では依然として火災が続いている。
シンディ・ローパーが明日から3日間、予定通りに東京でコンサートを行うと発表。
昼はPJメンバーとランチ会。行こうと思っていた店は営業してなくて貼紙がなされていた。
帰りの地下鉄はそれほど混んでいなかった。
ようやく旅行会社から旅程表もろもろのPDFファイルが届く。
小川未明『赤い蝋燭と人魚』を何も知らず、たまたま読んでゾッとする。
「人間は、この世界の中で一番やさしいものだと聞いている。
そして可哀想な者や頼りない者は、決していじめたり、
苦しめたりすることはないものと聞いている」
「幾年も経たずして、その下の町は亡びて、亡くなってしまいました」
・3/17(木)
ACと報道番組ばかりでしばらくテレビをつけずにいたが、
昼見たらYahoo!ニュースのトピックスに「朝ドラ「てっぱん」19日再開」とあった。
テレビ欄を見たら「3年B組金八先生」の再放送とか「欽ちゃんの仮装大賞」の名場面集とか。
行方不明の家族や友人を探すための拡散は昨日から減ってきたように思う。
その分、「電力会社の社員を装ってレイプ」とかみもふたもないデマが増えた。
昨日から寒くなって、被災地では大雪。避難所で亡くなるお年寄りの方も増えてきた。
東京もまた寒くて、節電のオフィスはスーツでは寒くて1日中コートを着て仕事をした。
インフルエンザが流行っているというニュースも見た。
被災地では依然として厳しい状況が続く。食料もガソリンも医療品も全然届かない。
都心に限っては峠を越えたかもしれない。
普通の人は普通に落ち着いて日々を過ごしているのに
一部の心ない人たちの行動や不安に駆られた人たちの行動が世間一般の流れのように思われている。
そんなふうに感じる。
計画停電も拡大するとのこと。もう落ち着いてきたんじゃないかとタカをくくると、何かが起きる。
会社からも大事な要件の無い人は早めに帰りましょうと連絡が。
会社の災害対策本部のTwitterアカウントが作成されていた。
16時半にオフィスを出た。
みずほ銀行の全ATMがストップするが、今回の震災とは関係がないとのこと。
大規模停電が回避される。
布団に入ってウツラウツラしている間に余震が。とても大きい。
・3/18(金) ー 3/20(日)
4時起きで羽田へ。丸の内線も東京モノレールも動いている。
外はまだ暗い。街に人気はない。節電でいつもより明かりが減っている。
サイレンが聞こえる。
駅も節電か。余りの寒さにホームで缶のコーンポタージュを買って飲む。
6時半には羽田に到着する。大勢の人がいた。殺気だった雰囲気はなく、いつも通りの空港。
しかしこの何割かは「疎開」の人たちなのだろう。家族連れが目につく。
出発ロビーでNHKの震災に関するニュースを見て過ごす。
被災地の首長は皆、地味な色のジャンパーを着ている。
活動しやすいってのもあるけど、それ以外の格好をしていると不謹慎に思われてしまうのだろう。
福岡について長浜へ。
ガラガラの棚が目立つ東京とは違って、コンビニで普通にものが売られている。
フェリー乗り場へ。
大きなモニターではNHKではなく民放が映されていた。今回の震災後初めて、民放を見た。
被災地の状況ですって避難所の前でずっとリポーターの顔が映し出されて喋っていた。
中継がひと段落するとCMってことになって当時話題のACの素材が。
あーこれが「ポポポポ〜ン」か……。挨拶は大切です。みんなで挨拶しましょう。
でもこれが1日中繰り返されていたら、神経を逆撫ですることになりそう。気が狂いそう。
震災から一週間、テレビの向こうで14時46分、黙祷がなされた。
釜山にいたときは夜、テレビでNHKのニュースをぼんやりと見ていた。
テレビの向こう、海の向こうの出来事。記者会見とヘリコプターから映した上空の映像と。
韓国のニュース番組もいくつか、そんな感じだった。
フェリーに乗って帰ってくる。
オープンしたばかりのJR博多シティが賑わっていた。
九州新幹線が12日に全線オープン。Maia Hirasawaの歌う「Boom!」のCMが素晴らしかった。