こういう話

こういう話。
2022年。とあるウィルスの流行で全世界の人口の半分以上が失われる。
政治も経済も破綻。企業が次々に倒産し、国家も機能しなくなって無政府状態となる。
電気・ガス・水道、インターネットといったライフラインも失われ、自給自足の生活が続く。
生き残った人たちが寄り集まってコミューンを形作り、水辺で農作業を行う。
夜は焚火。日が暮れたら寝て、日が出たら起きる。
 
そんな中でも岡村中年は今もまだ幻の名盤とされるCDを手に入れることを夢見ている。
他に生きる目的と呼べるものは何もない。
音になってからずっと、次に買いたいCDのリストを更新し続けてきた。
入手困難で往年の Amazonヤフオクでは数万の値が付いていたものから
いつでもどこでも入手出来てそのときお金があればまあ買うかというものまでランク付けする。
入手すると消し込むが、ガイドブックを読んだりCDの解説を読んだりで
聞いてみたくなって追加するCDの方が常に多かった。
裸のラリーズ「MIZUTANI」や
Cowboy Junkies 「Whites Off Earth Now!!」のリマスター音源といったものが
リストの上位に10年以上残っていた。
 
野菜を育て自分の分け前をもらう。
食べるのを節約してそれを市場に持っていく。
蚤の市にはごくまれにボロボロになった本を出している人がいる。
そんなとき岡村中年はそっと、CDをまだ持っている人がいないか尋ねる。
多くの人は電気のない今、何の役にも立たないと燃やしてしまっていた。
さらにごくまれにまだ持っているという人もいた。
しかしそれも思い出の品として1枚か2枚というだけであって、
何千枚、何万枚とCDを今も所有している人など周りには皆無であった。
かつての富裕層が今も豪邸に住んでいるという話は聞くが、近付いたところで相手にはされない。
 
それでも1年に1枚ぐらいは、かつてリストにあったCDを手に入れることができる。
書き写した紙も今となってはヨレヨレで読むのもやっとだ。
同好の士というのはいつの世もいるもので、人づてに話を聞いて手繰り寄せる。
手に入れたCDは電池で動くポータブルのプレイヤーとヘッドホンでで夜、誰もいないところでそっと聞く。
一度聞くと満足してそれ以上は聞かない。
電池のストックも残り少ないし、市場で最も高価なもののひとつが電池だからだ。
 
岡村中年はやがて岡村老人となる。
いろんなことを諦めた。
かつてとてつもない努力をして手に入れたCDも手放すか、他の持ち物と一緒に盗賊に奪われた。
もはやこの10年、CDというものを目にすることもなくなった。
 
そんなある日、ゴミ捨て場に何か食べられるものはないか探しに行くと
泥まみれの薄くて平べったいプラスチックのケースを見つける。
もしかしたらこれは……
The Blue Hearts「TRAIN-TRAIN」とあった。
思い出す。いろんな記憶がよみがえる。小さい頃、初めて買ったCDだった。
その音を思い出す。テレビドラマで使われていたなあと。
テレビやドラマという言葉を思い出すのも数十年ぶりだった。
そのアルバムを聞く手段は今や何もない。
 
ねぐらに戻ってCDを胸に抱きながら眠る。
その人生で聞いた様々な音楽を思い出す。
ああ、もはや思い残すことはない。
岡村老人は息を引き取るが、その亡骸を見つける人もいなかった。