『天才!志村どうぶつ園』の追悼番組を見た

昨日は夕方『となりのシムラ』の再放送を見た後、
『小さな村の物語 イタリア』を挟んで『天才!志村どうぶつ園』の特番を見た。
思えば、この番組をちゃんと見たことは一度もなかったな。
それでもチンパンジーのパン君や捨て犬のチビのことはよく聞いていて、
動物たちと本気で遊び、自分の子どものように接している姿を見ていたら涙が出てきた。
愛に溢れた2時間だった。
 
先日、野村克也監督の追悼番組をたまたま見た。
古田らのインタビューがあって、清原からの手紙があってとそれなりに泣ける構成だったんだけど、
何か物足りない。故人に失礼のないようにしようという手堅さだけが感じられた。
昨日の『天才!志村どうぶつ園』では何度も何度も、
スタッフや出演者に対していつも家族として接し、アドバイスし、
一緒になって楽しんでいたという姿が語られた。
そんなスタッフたちの感謝と無念の気持ちが痛いほど伝わってきた。
 
40代半ば。『8時だヨ!全員集合』で育ち、
加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』になっても忠実にチャンネルを変えず、
高校生になっても土曜の午後『ドリフの大爆笑』や『バカ殿様』をやってるとついつい見てしまった。
(フジテレビのない青森ではこの時間帯だった)
僕ら世代はドリフ世代であって、いつも心の片隅にドリフがあった。
 
付き人時代は全く収入がなくて
ドリフの他のメンバーの食べ残したのを食べて空腹をしのいでいたとか、
80年代前半は音楽雑誌でレビューを書いていたり、
ヒゲダンスの曲も自分で探してきたりと音楽に詳しかったとか、
いろんなエピソードをここ数日思い出していた。
ネットで見かけたので本当かどうかわからないけど、
新型コロナウィルスでひいきの飲み屋がどこも経営が苦しくなったとき、
何軒もはしごしてかなりのお金を落としていったという。
それがかえって命取りになったのだろう。残念なことだ。
 
そういえば、僕が20代の頃に働いていたビルは芝浦ふ頭にあって、
定規のようにピシッとした三角形の形をしていた。
下の階はオフィスで上の階はマンション。
東方神起のメンバーが日本に来た時に住む部屋があったので
日によっては大勢の女性たちが出待ちしていた。
これは本当だったのだろう。
志村けんも住んでいるという話を聞いたことがあった。
噂にすぎなかったのかもしれない。
最上階の三角形のてっぺんの部屋。
オフの、一人きりのときは物静かな人だったという。
僕は若い頃、志村けんの近くで働いていたのだと思うことにしたい。
ご冥福をお祈りします。