大人になって、というか30代になって何が最初に人としての衰えを感じたかというと、
「雑誌が読めなくなった」ということだった。
いや、文字や記事は変わらず普通に読むことができる。
「雑誌一冊を読み通すことがなくなった」というのがより正確か。
中学・高校の頃は『Rockin'on』を毎月、隅から隅まで読んでいた。
インタビューは全部読んでいたし、お便りのコーナーまで読んでいた。
それも1日かからなかったと思う。
社会人になってからもしばらくは『ぴあ』を毎週買っていた
その他多くの方のコラムを毎週欠かさず目を通していたな。
今はそれができない。
『Rockin'on』は今も毎月買うけど、かろうじてディスクレビューを拾い読むだけ。
なんだろう。時間がなくなったのか。忙しいのか。
恐らくふたつあって、
ひとつは年齢的に集中力が下がってきたということ。
もうひとつはインターネットの普及で爆発的に身の回りの情報量が増えたこと。
ブラウザを通して無数の雑誌の記事、コラムに囲まれながら生活しているようなもので
常に飽和状態にある。そんなときにわざわざ頑張って1冊読み通そうなんてしない。
本は捨てないが、雑誌は捨てるものというか
まとめてどこかで捨てないといけないもの、怒られるものという意識があって、
いつか捨てるものを真剣に読み込んでもな、と思ってしまうというのもある。
(だから『CROSSBEAT』であれ、『レコード・コレクターズ』であれ
音楽雑誌の記事をまとめた本があるとついつい買ってしまう)
80年代後半から90年代前半にかけて。
読むものと言えば、文庫本、単行本、新聞、雑誌、教科書といった紙媒体が全てだった。
物理的にそこに届かないものは読むことができなかった。
そんな中、毎月の小遣いの中から買うのだからそりゃ、『Rockin'on』も貪るように読むだろう。
洋楽に少しずつ詳しくなっていく過程もまた、世界が広がっていくようで楽しかったし。
逆に言うと、雑誌というもののもつパワーも下がっているのかもしれない。
一頃ほど売れなくなってどこも苦戦しているというのはよく聞く話だし。
一方でフリーペーパーの躍進というのもあったんだろうな。
タワレコとかで配っているような。あるいは地域媒体。
無料でカラーの冊子が読めるなら、しかも20ページぐらいと分量もちょうどいいのがあれば、
そちらに流れていく。
しかしそんなフリーペーパーもやがて消えていくのだろう。
そんな僕が雑誌を丸ごと一冊じっくり読むことのできる時間と場所は
缶チューハイ片手の新幹線の中、ということになった。
今となってはそれも難しいが……