東京の思い出

小さい頃、東京に行くとなると、
例えそれが法事であろうと1カ月ぐらい前からワクワクソワソワしたものだ。
上野動物園としまえんには行くのだろうか。
寝台列車は2段なのか、3段なのか。
親戚は誰に会うだろう。
もらったお小遣いで何を買おう。
 
東京はあまりにも遠いところで
住んでる人が全然違って話す言葉が違って
全くの別世界だった。
それは東京だからなのか。
小さい頃、大きな都会ならば皆そういうものだったのか。
 
80年代前半の東京は新宿であれ、渋谷、池袋であれもっと素朴な街並みだった。
秋葉原はあくまで電気街だった。
吉祥寺や下北沢、代官山なんて知らなかった。
 
母が昔新宿で働いていたので、連れられて誰かに会うときの多くは新宿だった。
本を買ってもらうとしたら紀伊国屋書店
中村屋でカレーを食べる。
他行くとしたら上野動物園としまえんであって、
寝台列車が到着する上野駅と新宿や上野を結ぶ電車が僕にとって東京の全てだった。
知らない場所が多いからこそ、東京はとてつもなく広かった。
そこに紀伊国屋書店のような物理的に大きな建物の記憶が重なる。
 
青森では考えられないぐらい、大勢の人がいた。
そもそも電車が数分に一本来るというのが感覚的によくわからなかった。
東京というところは線路と電車が入り乱れて、東京自身が常にあちこち移動していた。
なによりも高さだった。
東京タワーやサンシャインの展望台は言うに及ばず、
デパートの屋上から見る景色のあの高さの感覚。重力の感覚。
高いところから見下ろすのと、街並みそのものの高さと。
今思うと、あれこそが青森にはない東京らしさだったのかもしれない。