Tha Blue Herb『Prayers』

連日新型コロナウィルスに関するニュースが続く中で
3月11日の前後数日は東北の震災から9年ということで
今もなお仮設住宅で暮らさざるをえない方たちのことや
福島第一原発の近くの町や村からようやく
荒れ果てた家に一時帰宅した方たちのことが取り上げられていた。
どちらにしてもかつての生活には戻ることはできない。
本来なら行われるはずだった式典も今年は中止となった。
 
ふと Tha Blue Herbのことを思い出して過去のアルバムを聞いた。
いくつかの持っていなかった音源は取り寄せて iPhone に入れた。
今回買ったもののひとつに『Prayers』という2枚組の DVD があった。
時間のある時にちゃんと見ようと思う。
ゴールデンウィークに入ってようやく一昨日、昨日と1枚ずつ見てみた。
 
2013年3月15日から17日にかけて
宮古、大船渡、石巻のライブハウスを回るというツアー。
どこも予定でいっぱいかと思っていたら全然空いていたという。
震災から2年。この3軒は営業できるようにはなったが、
震災直後は瓦礫や壊れた車で道路がふさがっていたと地元の方が語る。
宮古石巻のライブハウスの周りには更地になっているところがあった。
大船渡は何も残っていない更地の中に奇跡のようにライブハウスが建っていた。
 
Disc1 は宮古、大船渡のステージの抜粋とその前後の移動風景などのドキュメンタリー。
Disc2 は石巻のステージを全て収録。
海辺を南へ下っていく。
僕も訪れたことのある陸前高田の野球場跡といった風景が広がる。
更地の広がるかつての町で車を停め、線香を手向ける。
静かだという。聞こえてくるのはかもめの音、寺の鐘の音、工事現場の音だけ。
生活の音が聞こえてこない。
 
そこで目にしたものが夜のステージで放たれる言葉を変える。
リリックそのものは変わらない。その土地の名前を挟むぐらい。
しかしメッセージとしての重みが変わってくる。
より切羽詰ったものとなる。
その場を共有したものたちのつながりをもっともっと強く求める。
 
被災地のステージに立つのに2年かかったという。
困難な状況で毎日頑張っている方たちに向かって、札幌の俺らががんばれなんて言えるかと。
救援物資なら送ることができる。しかし言葉で戦っている俺らには中途半端なことは言えない。
しかし、ようやくふっきれることができた。
津軽海峡を越えて本州へと渡ることの、
東京へと向かうことの大変さを彼らは何度もリリックにしてきた。
ゆえにその先にあった東北に対してはなにかシンパシーのようなものがあったのだろう。
 
アツいものがあった。この場にいたかった。
しかし、一緒にいた妻は全然別なことを感じていて、……これって男子校だと。
女性蔑視ではないけど、この閉じられた空間は気軽に女性が立ち入ることはできないと。
女人禁制の神聖な空間、言ってみれば土俵の上でのガチンコ勝負。
そこに女性が上がることは許されない。
なるほどなあと思った。
Tha Blue Herb は結局のところ男のロマンなのか。
彼らも、中途半端に広く受け入れられるよりも
ものすごくよかったという人と今回のステージは自分には合わなかったという人と
ふたつに分かれるほうがまだいいと語っていた。
 
個人的には、3.11以後の音楽を代表する
素晴らしいドキュメンタリー、ライヴ映像だと思う。
俺は全力かけて俺であれ、お前は全力かけてお前であれ。
彼ら以上に直球勝負のメッセージはない。