草加次郎事件

昨晩、NHK BSプレミアムの『ダークサイドミステリー』を見た。
草加次郎事件。名前は聞いたことがあったが、詳しくは知らなかった。
 
高度経済成長期の日本。
1964年の東京オリンピック開催に向けて新幹線や高層ビルの建設ラッシュ。
日本は大きく生まれ変わろうとしていた。
地方からは中学校を卒業したばかりの大勢の若者が鉄道に乗って上京、
金の卵とは名ばかりに工場や商店でのきつい仕事に従事していた。
1962年島倉千代子へのファンレターを装った爆発物の送付に始まり、
銀座の映画館、世田谷の公衆電話、浅草寺など様々な場所で爆発物の放置を繰り返す。
 
爆発物には「草加次郎」の名前がどこかしらに記され、筆跡から同一人物と判明する。
材料は花火用の火薬や乾電池など、ある程度の科学の知識があれば誰でも入手可能なものばかり。
一方で世田谷の公衆電話も浅草寺も爆発物は本を加工したもので、
前者は石川啄木の『一握の砂』、後者はエラリー・クイーンの短編集『犯罪カレンダー』だった。
犯人は地方から出てきた貧しい者で、推理小説を嗜む頭の良さをもっているのでは、と推測された。
 
番組では日本初の愉快犯であると。
運悪く爆発物を見つけた人は全治1~2週間の怪我となるが、死傷者が出るまでには至らない。
しかし愉快犯の特徴として、世間の注目を浴びたくて犯行がエスカレートする傾向にある。
しばらくは草加次郎の名前が新聞を賑わせたが、
その後起きた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」で世間の関心が全て奪われてしまう。
本田靖春によるノンフィクション『誘拐』が秀逸)
 
刺激されるものがあったのだろう、
上野公園のおでん屋を銃で撃ち、同じ銃弾を警察に送り付ける。
地下鉄の中に時限爆弾をセットする、とより危険なものになっていく。
日本初の無差別テロ。
そして遂に吉永小百合の乗る急行電車をターゲットにした身代金要求事件へ。
これは未遂に終わり、以後、草加次郎は姿を消す。
たくさんの模倣犯を生んで……
翌年は1964年、東京オリンピックが始まる。
 
番組ではやはり地方から上京した若者が犯行に及んだのではないかと。
東京での仕事、東京での生活に馴染めず、疎外感に陥った中で
スターとして華やかな生活を送る、普通の生活を営む人たちを恨む。
吉永小百合の乗る急行電車も東北行きであったと。
 
その後犯人は捕まらず、謎に包まれたまま。
何食わぬ顔をして工員として、会社員として、公務員として暮らしたのかもしれない。
僕はこの人、とんでもなく頭がよかったんだろうなと思った。
こんな簡単な爆発物でも世間をアッと驚かせることができるという
知恵比べがしたかったのではないか。最初のうちは。
地方出身者を思わせる素振りはミスディレクションを誘うため。
むしろ東京生まれ、東京育ちの裕福な家庭の生まれではないか。
 
頭が良すぎて、人の命というものを自らの目的達成のための手段と割り切ることができた。
何よりも頭のよかったのは、潮時を知っていたことだろう。
ジキル博士とハイド氏のようにダークサイドのハイド氏の存在感が大きくなってくる中で
実験はこれで終わりと、封じ込めることができた。
(いや、突然の事故で亡くなっただけかもしれないが)
 
僕が映画監督だったらこの事件をテーマに一本映画を撮ってみたいが。
その内面を探ってみたい。
実は複数人の犯行だったとか。いろんな可能性が考えられる。