横光利一「蠅」

先日、小学校・中学校の国語の教科書で読んだ作品のうち、
タイトルが思い出せずに読み返せずにいるものについて書いた。
思い出したうちのひとつに横光利一の「蠅」があって、
岩波文庫から出ていた短編集をもう一度読み返してみた。
記憶に違わずやはりこれはすごい、日本文学短編部門の最高峰だと
妻にも勧めてみたところ、すぐにも興奮したメッセージが届いた。
いったいこれは何なのだと、飛び去った蠅とは何なのだと。
 
すぐ読める作品なのであらすじは書かない。
青空文庫にある。
 
蠅とは何であるか。
神の視点、自然という神の視点であって、
そこでは人間一人一人の生の営みはちっぽけなものである。
一個人がどれだけの思いを抱えて生きようと、死のうと、
大局的な視点から見ればたいしたことはない。
そのマクロな視点とミクロな視点を蠅という一点に集約したのだからすごい。
そんなことを妻に話した。
 
しかしこの作品を読んだのはいつか。
さすがに高校生だろうか。
教科書では、授業では、何を問われただろう。
登場人物の思いとか、蠅は何を象徴しているかとか、そんなとこか。
誰かが当てられて答えられたり答えられなかったりして、
朗読したり寝てるのを起こされてりして
いつものように淡々と時間が過ぎていった。
それがどんな季節だったのか、何も思い出せない。
 
読み終えた僕はビリビリと電気が流れたように感じたはずだ。
でもそのことを誰にも話さなかった。
普通、国語の教科書で読んだ作品が面白かったなんて話はしない。
ねえ、どの作品が好き? と聞き合ったりもしない。
一人きりただ黙々と帰り道の自転車のペダルを漕いだことだろう。
蠅はどこにいるのか、と思いながら。
僕もある日突然簡単に死んでしまうだろうと思いながら。
 
そんなことを時々思いながら、「蠅」のことを思い出しながら、
僕はその後30年以上淡々と生き延びてきた。
明日の朝僕は死んで、その肩から一匹の蠅が飛び去って行く。
それは明後日かもしれないし、来月のことかもしれない。
大勢の蠅が毎日のように飛び去って行くのを、
また別の蠅が無関心のさなか眺めている。