お化け屋敷

今日から8月。
関東も梅雨明けか。
図書館まで行くため公園を歩くと空が青く木々がまぶしい。
今日はまだ風が冷たくて過ごしやすい。
カラッと晴れた美しい夏。
こんな奇跡のような一日は一年に何度あるだろう。
 
昨晩の新日本風土記は再放送で「おばけ屋敷
その前の週は妖怪だったか。
お化け屋敷で幽霊役を演じる若い女優。
国内では最後の一人になったお化けの人形を作る名人。
最先端の演出を追い求めるお化け屋敷プロデューサー。
 
お化け屋敷の興業で全国を回っている一家の話が印象に残った。
大型トラックに組み立て式のお化け屋敷を積み込んで祭りの場へ。
番組では山形を訪れていた。
西へ東へ、年間30カ所で小屋を建てる。家にいるのは冬だけだという。
父と母と息子が二人、息子のうちの片方のバンド仲間が二人の計六人。
このバンド仲間ってのがよくて、一年中やってたらバンドなんてできないだろうに
引き込まれていつのまにかそれが本業になってしまっている。
そういう人生もある。
昔は隠れた場所で和太鼓を叩いて臨場感を煽っていたのが
今はスネアドラムになっている。
 
奥さんはもともとサーカスで育った。
本当の父母は知らない。売られたのか拾われたのか。
小さい頃から玉乗りなどの芸を披露していた。
それが昭和30年代に入ってサーカスが下火になりかけると
義父母は潔くテントを畳んでお化け屋敷を始めたのだという。
その切替の時期、生涯に一年間だけ学校に通うことができた。
その中学校のクラスで出会ったのが夫で、
絵がうまいからとお化けの看板を描くのを頼んだ。
その後のことは番組では語られなかった。
楽しいこと、辛いこと、いろんなことがあったんだろうな。
その義父母のお化け屋敷を彼らは継いだ。
心に染みるいい話だった。
 
兵庫の家に彼らは戻った。
息子の提案で今度初めて、ゾンビをモチーフにしたお化け屋敷をやるので
新しい道具のあれこれをトラックに積み込む。
2015年の番組。
あの後も彼らは全国を回ったのだろう。
バンド仲間たちはまだ続けているのか。
結婚して家庭を持つからやめるとかそういうこともあるんだろうな。
今年は興行できなくて大変だ。
広場に小屋を建ててなんぼだからオンラインでどうこうということもない。
 
としまえんのお化け屋敷はなんとも素朴なものだったな。
閉園と共にお化けの人形たちは廃棄されてしまうのだろう。
そのことを思うと切ない。