偶然の余地

4月後半より在宅勤務になって、10か月近く。
こんなに長く続くとは思わなかった。
というか、もはやオフィス勤務に戻れず。
 
コロナ終息後、どうなるか。
オフィスワーク → リモートワーク → ハイブリッドワーク
という流れが提唱される一方で、
大方以前の通勤生活に戻るだろうという意見も。
その場合、地方に移住した人はどうなるのだろう。
 
僕も最初はリモート会議が嫌で、かたくなに回避していた。
やってみたら一か月もかからずに慣れた。
これまでのお客さんのところは皆顔出ししないが、
自社の打ち合わせだと顔出しすることもあり、
いつも同じジャージやフリースというのもなんだなと
ユニクロに買いに行ってしまった。
 
なんだ、リモート会議でいいじゃないか。
自社やお客さんのネットワークに接続して仕事ができるなら
ずっと在宅勤務でいいじゃないか。
必要なことは全て可能で、何も困っていない。
書類を紙で提出しないといけないとか判子がいる、ということもない。
 
……と思っていたが、先日ふと気づく。
今更僕なんかが言うまでもないですが。
廊下でばったり知ってる人に会って、「あ、ども」と挨拶して
最近どうすか? って近況報告や情報共有をする機会がゼロになった。
用のある人には teams などのツールで話しかけることができる。
しかし、用のない人相手に闇雲に、アトランダムに、
ツールで呼びかけるなんてことは普通しない。
 
同じような話で、煙草を吸う人にとっての煙草部屋のコミュニケーション。
誘って行くこともあれば、偶然会うことも。
意外と大事な相談事、調整事がそこで決まったり、
内緒の噂話を教えてもらったりと煙草部屋でのやり取りを重視していた人には
かなりやりにくいことになっただろうな。
どうしてんだろう。
バーチャルな煙草部屋って必要そうな気がする。
 
そういうのって
必要な本、タイトルを知ってて探してる本は amazon でも買えるけど、
それまでの購買履歴をもとにレコメンドもしてくれるけど、
隣り合わせた別の著者の本とか偶然見かけた本が欲しくなるので
わざわざ書店に行くというのと一緒。
 
これからのシステムはそういう余白をどのようにして生み出していくのか、
なのだと思う。
ただランダムなだけではだめ。
何らかのうっすらとした文脈がそこでは要される。
言い方を変えるとセレンディピティであるとか。
流れのある、何か見えないものが集積されたことで導かれる、偶然性。