2021/02/17: diskunion.net
Warpaint 「Heads Up」 \854
Ash 「A-Z Vol.2」 \465
Astor Piazzolla 「Live In Tokyo 1982」 \1892
Anatoly Vedernikov 「Scriabin & Prokofiev」 \854
Kirkby / Hogwood 「Mozart Requiem」 \659
Jello Biafra & The Melvins 「Never Breathe What You Can't See」 \854
2021/02/18: diskunion.net
ゆらゆら帝国 「美しい」 \680
2021/02/18: ヤフオク!
裸のラリーズ 「Laid Down 76 Again」 \2000
裸のラリーズ 「Cable Hogue Soundtrack」 \4000
2021/02/18: www.amazon.co.jp
Pixies 「Trompe Le Modne」 \3322
2021/02/20: TowerRecords 新宿店
※タワレコの70%OFFのワゴンセールにて
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Pixies 「Trompe Le Monde」
ふと、Pixies が聞きたくなった。
1作目「Surfer Rosa」や2作目「Doolittle」は数年前に
アニヴァーサリー・エディション的な3枚組が発売されたが、
そういえば、3作目「Bossanova」や
4作目「Trompe Le Monde」はどうなんだろう? と思う。
2004年に紙ジャケットで再発されたものの
このときはリマスター盤ではなかった。
探してみると『Mobile Fidelity Sound Lab』から4作品とも出ていた。
アメリカ西海岸で設立された再発専門のレーベル。1977年に遡る老舗。
ジャケットの上側欄外に必ず「ORIGINAL MASTER RECORDING」と記す。
オリジナルのマスターを忠実に再現するのが身上となる。
僕が最初に買ったのは昨年の4月、
Cowboy Junkies 「Whites Off Earth Now !!」
で、やはりリマスター盤を探していた時。他には出てなかったんですね。
Bill Withers 「Live At Carnegie Hall」 3,795円
Vanilla Fudge 「Vanilla Fudge」 4,397円
どちらも発売されたばかりの新品で。限定盤、ナンバリング入り。
どれぐらいの量が流通するのか。
Vanilla Fudge は2,000枚限定と書いてあった。
残り2つも恐らくそれぐらいなのだろう。
もちろん、音は想像以上のものだった。
ここまで彫の深く、鮮明で、温かい音となるとは。
目の前で演奏しているかのようだった。
これがロックだと、しみじみした気持ちになった。
ロック、ソウル、ジャズ、ジャンルを問わず大御所たちの作品の多くが
ここから再発されている。先ほどざっと見てみたら、
Miles Davis / John Lennon / Bob Dylan / The Band / Queen / The Who /
Eric Clapton / Traffic / Little Feat / Linda Ronstadt / Grateful Dead / YES .....
もっと時代を下ったものだとこういった辺りが。
「Trompe Le Monde」は解散、再結成前ではラストアルバムに当たる。
1991年の作品で、当時僕はリアルタイムに買って聞いた。
冒頭の表題曲 ”Trompe Le Monde” から "Planet of Sound" への
ぶちぎれた疾走感が素晴らしく、
”Alec Eiffel” ”The Sad Punk” と重心は低いのに高速なナンバーが繋いで、
畳みかけるように The Jesus &Mary Chain の ”Head On”のカバー。
あまりの爽快さに何度も何度も繰り返し聞いた。
当時の Rckin'on ではヴォーカル・ギターのブラック・フランシスはその体躯ゆえに
確か ”疾走するデブ” と紹介されていたように思う。
残念ながら当時の国内盤は若干音が薄っぺらく、
リマスター盤が出ないかとずっと思っていた。
先日、Mobile Fidelity から出ていることを知って
HMV のサイトでダメもとでオーダーしたら9,000円近く。
でもしょうがない、これはその価値があると思うことにした。
あ、そうだ、amazon で最初 Mobile Fidelity 盤が見つけられなかったんだよな、
もう一度ちゃんと探してみようと検索のキーワードを工夫したら、ヒットした。
しかもなぜか新品で。3,300円ぐらい。もちろんこれは買い。
Dinosaur Jr. などと並んで、グランジの源流のひとつ。
解散後、21世紀に入ってから再結成。
僕は見ることができなかったが、フジロックにも出ている。
Nirvana ”Smells Like Teen Spirit” は Pixies のような曲を書きたくて書いた、
という話を聞いたことがある。尾ひれのついた噂なのかもしれないが。
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Anatoly Vedernikov 「Scriabin & Prokofiev」
時々思い立ってまとめて買ったりで、年に10枚はクラシックのCDを買う。
たぶん200枚ぐらいにはなったか。
それでもいまだに、クラシックをどこから聞いたらいいのか、
どこを入り口にしてどう進んでいったらいいのかよくわからずにいる。
そのCDのアーティスト名が作曲者だったり演奏者だったり指揮者だったりするのが
まちまちで違和感あったりして。気にしなくてもいいんでしょうけど。
アカデミックに歴史と評価が記述されていることへの気おくれもあるのだろう。
ロックの歴史はたかだか数十年。クラシックは300年以上となる。
中高生の時に膨大な時間と熱量をもってしてロックに詳しくなった。
あれと同じことを中年になった今、クラシックに対して行うというのは無理。
小さい頃 ”展覧会の絵”に心惹かれ、
大人になってからは作曲家のバルトークに興味を持つ。
フルトヴェングラーの指揮が聞いてみたくなったり、
ピアニストのグレン・グールドが話題になると映画を見に行ったり。
去年は中世の音楽ってどうなんだろう? と中古を探してみた。
その時々でつまみ食いして、知識が虫食いのまま。
まだ全然入り口に立てた気がしない。方向性が定まらない。
お世話になった叔母はモーツァルトが好きで、
アマチュアの研究家の集まりにも顔を出していたようだ。
そういう確固たる核が、見いだせない。
それでも少しずつ見えてきたのは、自分はピアニストの独奏が好きなんだなと。
べたですが、まずはマルタ・アルゲリッチから。
廉価版8枚組の全集をソロ、室内楽、オーケストラと買ってみた。
モーツァルトを聞きたくなった時にピアノ演奏の第一人者と知って
DiskUnion のクラシック館の壁に飾られていたジャケットの美しさから、
クレール=マリ・ル・ゲを集めたこともあった。
4年前の今頃だった。土曜の朝に切ってもらうこと多いので
恐らく、NHKの『世界の快適音楽セレクション』だったと思う。
ゴンチチがナビゲートの。
なまめかしく官能的なのに肉体的ではなく、精神的な。
心の闇もどこか感じさせるような。
誰が演奏していたのかは聞きそびれた。ロシアのピアニストだった。
(もしかしたらヴラディーミル・ソフロニツキーだったのかもしれないと今は思う)
これはもっと聞きたいと帰りの丸の内線の中で検索しているうちに
アナトリー・ヴェデルニコフの名前を知り、新宿の DiskUnion に寄って探した。
すぐには見つからず、実際に聞くことができたのは数週間後か。
1960年代、70年代に多く録音を残す。冷戦時代、旧ソ連のピアニスト。
その気品ある姿勢の良さ。演奏の豊かさと簡潔さがひとつの音に宿る。
それでいてロシアの冬の枯れた寂しさも感じさせる。
僕が求めていたピアニストはこれだ、と直感した。
コロンビアから出ていた『ロシア・ピアニズム名盤選』というシリーズで
それから一年ぐらい、熱心に新宿やお茶の水の DiskUnion のクラシック館を回った。
ヴラディーミル・ソフロニツキーも聞いてみた。
その後も少しずつ、見つけるたびに買い集めてきた。
今回入手したのは、ようやくのスクリャービン。
あの日聞いたものとは違うけど、
自国の作曲家と向かい合うピアニストの演奏はすとんと腑に落ちるものがある。
自然な呼吸が感じ取れるというか。
僕にもクラシックに向かうにあたっての核ができてきたように思うが、
では次どこへ、というのは以前としてわからず。
1,000枚ぐらい買って聞いてみて初めてわかるのか。
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Astor Piazzolla 「Live In Tokyo 1982」
特定の地域に根差して広まってきた音楽は、多くの場合、
ビギナーにとってはまずはこの人、このグループを聞け、もうそれだけでいい、
という水先案内人が存在する。
そしてその水先案内人はその後どれだけそのジャンルに詳しくなったとしても、
その人にとってずっと大事な精神的支柱であり続ける。
わかりやすい例は、レゲエのボブ・マーリー。
サルサだと Fania All Starsで、ボサノバはジョアン・ジルベルト。
もちろん、ボブ・マーリーが全てではなく、
Black Uhuru や Aswad といった人気のグループを好きになってもいいし、
Trojan や Studio One といったレーベルに目を向けてもいい。
Adrian Sherwood の英国産ニューウェーヴダブもあるし、
日本の Mute Beat や Little Tempo を聞いてもいい。
でも最後はやはり、ボブ・マーリーに戻ってくる。
同じように、タンゴだとアストル・ピアソラ。
群を抜いて巨人過ぎる。後続への影響もいまだ大きい。
僕もその後、一世代下のフアン・ホセ・モサリーニやロドルフォ・メドロス、
最近の若い世代のディエゴ・スキッシなど
様々に興味を広げて聞いてきたが、やはりこの人にはかなわない。
作曲者として、バンドネオン奏者として、楽団のリーダーとして、
タンゴの現代化を一代で成し遂げた。
1921年に生まれる。幼少期こそアルゼンチンで過ごすが、
その後10代半ばまでニューヨークで過ごしたというのが大きいのかもしれない。
あるいはクラシックの作曲家を目指して若い頃パリに留学してブーランジェに師事するが
タンゴに向かい直したという経験が大きく関わっているのかもしれない。
アルゼンチンに戻ってきて自身の五重奏団や八重奏団で前衛的なタンゴを演奏。
最初のうちは難解だと敬遠されたがやがて海外を中心に圧倒的な支持を受けるようになる。
「ニューヨークのピアソラ」といった名演・名盤を数多く残し、
世界的な名声を得た後も自らの音楽を高め、深めることを貪欲に求め続けた。
1980年代、60歳を過ぎてからの、キップ・ハンラハン
プロデュースによる「Tango: Zero Hour」3部作で生涯何度目かのピークに再度達した。
1992年、71歳で亡くなる。
今 Wikipedia を見たら、前年にパリの自宅で脳溢血で倒れた時、
大統領専用機でアルゼンチンに運ばれた、とあった。
彼は言葉でタンゴを、自らの音楽を、語ることはほとんどない。
寡黙にして雄弁な演奏によってのみ語る。
その音楽は一言で言ってしまうと、現代音楽とタンゴの融合ということになるだろうか。
この世で最も緊張感の高い音楽。一瞬の緩みもないし、一音の無駄もない。
しかし、それは官能的でなまめかしい緊張感の持続であって。
そこに不安、恐れ、羨望、憧憬といった感情を乗せていく。
それはアルゼンチンの市井の人々の感情というよりも、
全人類普遍の感情といった方がいいだろう。
今回入手できたのは円熟期の1982年、渋谷公会堂でのステージを録音したもの。
恥ずかしながら僕は知らなかったのだが、藤沢嵐子という歌手の方をゲストに迎えて
聞けば誰もが知っているタンゴを代表する曲 ”ラ・クンパルシータ”や
ピアソラ作曲の代表曲のひとつ ”ロコのバラード” を歌っている。
他、五重奏団だけの演奏でも
”AA印の悲しみ” ”アディオス・ノニーノ” などその長いキャリアを総括するような曲目。
19080年代前半から半ばにかけて、「Live in Wien」や「AA印の悲しみ」といった
ライヴアルバムの名作を残していて、どれも甲乙つけがたい。非の打ち所がない。
しかし日本人にとってはこのアルバムが決定版となるかな。
藤沢嵐子が母国語以外の言葉で歌うことによって、
ムードある日本語のモノローグを加えることによって、
日本人にとってのタンゴが何であったのかが重ね合わせられている。
僕が60歳、70歳になったとき、このアルバムはさらに輝きを増すだろう。
生涯聞き続けるべき名盤。
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ゆらゆら帝国 「美しい」
先日暇なときに2009年、解散間際のゆらゆら帝国のライヴDVDを見た。
日比谷野音。
(なぜかたまたま、この頃見たライヴDVDのことごとくが日比谷野音。
Bo Gumbos の1995年の解散ライヴや、
『Folk』の特典だったハンバートハンバート二人だけのもの。2015年)
ゆらゆら帝国については90年代後半のメジャーデビュー後、
1999年の「ミーのカー」辺りから Rockin'on JAPAN でも
大きく取り上げられるようになったと思う。
僕の所属していた映画サークルのロック好きがこぞって聞いていたように思う。
”人間やめときな”とか”ミーのカー”とか、
沈み込むような和風サイケデリックな音が耳から離れなかった。
その後のアルバムも全て買った。CDシングルもほとんど買っていた。
最終作の「空洞です」は Studio Voice のロック特集であるとか
いろんなところで高く評価されていた。
一時期聞き過ぎていた分、ここ10年ぐらいはご無沙汰だった。
改めてその演奏を映像で見て、やはり彼らは唯一無二のかっこよさだったなと。
MCなし、3人で演奏するだけ。
ギターを弾く合間にボディビルのポーズを冗談でキメていたが)
淡々と沈むような曲を刻んでいたかと思えば
急にドライヴがかかってギターノイズが天の川のように降り注いだりと変幻自在。
マジカルな瞬間ばかり。
見ていて思ったのは、
実は日本のアンダーグラウンドなロックの歴史、
その最良の部分を集めたのがゆらゆら帝国なんじゃないかと。
四畳半フォーク、総天然色のグループサウンズから暴力的なカオスまで。
3ピースのパンクと70年代のスペイシーな実験音楽が共存する。
バンド後期のリミックス音源を集めた「REMIX 2005-2008」は
外部のDJに託すのではなく坂本慎太郎自身が行っている。
聞くと、テクノやダブの素養があることもわかる。
「過去」の日本ロックは皆ここにある。
それが無愛想でひと気のないぐにゃぐにゃした天国を形作る。
MIDI 時代のベストアルバムや
ライヴアルバム「な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い」
「空洞です」のひとつ前のアルバム「Sweet Spot」など。
iPhone に入れてどっぷり聞き直そうと昔買ったCDを取り出してみたら
メジャー後の彼らが出した音源のうち、
ラストシングルの「美しい」を持っていなかったことに気づく。
「冷たいギフト」「つぎの夜へ」といったシングルは持っていたのに。
これが4曲入りでアルバムとは別バージョンが2曲、アルバム未収録が2曲。
買いだな、と。
ベースとドラムがシンプルな、これ以上そぎ落とせないような簡潔なリズムを繰り返し、
ギターもまたありふれたリフレインを繰り返す。
以前はその反復のずれから生まれるどろっとしたものを描いていた。
それが「反復です」ではずれを生み出さず、
繰り返すたびに同じだけの余白を塗り重ねていった。
それまでの到達点として辿り着いたのは、
何の変哲もないありふれたロックナンバーだった。
なのにそこには空洞がある。空洞を感じさせる構造がある。
それは曲自身の構造でもあるし、
ロック史におけるゆらゆら帝国の位置づけという構造でもある。
”美しい” ”なんとなく夢を”はシングルバージョンだけあってさらに軽くなっている。
より純度を増した、より淡々と単純になった、きらきらとしたポップソング。
(”美しい”の歌詞はかなりなところ、なんですが。
漫画家天久聖一の手掛けたアニメのPVは人によってはトラウマになりそうな)
その分、何年もかかって中毒死させるような毒性の高まりがある。
普通になれば普通になるほど、普通ではなくなっていく。
映画であれ、文学であれ、そういう表現者こそ本物だと思う。
日本のロックではそれがゆらゆら帝国ということになる。
イエモンなんかもそうだな。