先週買ったCD #21:2021/03/01-2021/03/07

2021/03/02: tower.jp
Yo La Tengo 「Summer Sun」 (\2750)
タワレコのポイントで。差額 \250
 
2021/03/02: diskunion.net
坂本龍一 「NEO GEO」 \1700
 
2021/03/04: diskunion.net
山下達郎 「It's A Poppin' Time」 \1843
秦基博 「All Time Best 初回限定はじめまして盤」 \1746
赤い公園 「消えない EP」 \1067
Joao Gilberto 「Joao Voz e Violao」 \659
 
2021/03/06: diskunion.net
赤い公園 「The Park 初回限定盤」 \12850
 
2021/03/06: www.amazon.co.jp
eels 「Beautiful Freak」 \680
 
2021/03/07: diskunion.net
町田町蔵 「どてらいやつら」 \1500
 
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坂本龍一 「NEO GEO」
 
去年ぐらいから坂本龍一の紙ジャケ・リマスター盤を少しずつ買い揃えている。
「音楽図鑑」の2015年版や「戦場のメリークリスマス」の30周年版といった辺りは
HMV のサイトで普通にオーダーできた。(今見ると在庫はないようだ)
どういう順番で再発されているのか、「NEO GEO」は割と早かったようで
中古で探すしかなくて時間がかかった。
 
未来派野郎」や「メディア・バーン・ライブ」は出ないのだろうか。
一番出てほしいのはベスト盤の「Gruppo Musicale」なんだけど。
中学生の時に最初に聞いたのがこのアルバムで、いつもここに戻ってしまう。
青森市の駅前商店街の外れにカセットテープをレンタルしている店があって、
頼めばダビングもしてくれた。ジャケットも白黒だけどコピーしてくれた。
今なら違法なんだろうけど、80年代末はまだその辺りうるさくなかった。
ブルーハーツの最初の2枚のアルバムもここでダビングしたんだったかな。
料金が1本1,000円もしないはずで、お金のない中学生にはありがたかった。
棚一面にカセットテープが並んでいたのは壮観だった。
その後、レンタルCDに取って代わられることになる。
店はいつまで続いたろう。
高校生になって僕があの店に行ったことはないはずだ。
 
「Gruppo Musicale」は MIDIレーベルに在籍していた時の
アルバムや12インチシングルから1曲ずつ選んで、逆年代順に並べている。
ラストエンペラー」のタイトル曲から始まって、次の「NEO GEO」からも表題曲。
その次の「未来派野郎」のみ2曲選ばれている。
そうなるとこのアルバムが代表作なんだろうな。
 
「NEO GEO」は1987年の作品。
プロデュースがビル・ラズウェル
70年代末のニューヨーク、Material / Massacre といった地下水脈的ユニットで活動開始。
プログレ、フリージャズ、ファンクなど様々音楽を貪欲に取り込んで演奏。
ダブ、アンビエント民族音楽と領域を広げるうちにどんどん人脈が拡大、
あれよあれよというまに80年代半ばから大御所のプロデュースを手掛けるようになる。
1985年のミック・ジャガー「She's The Boss」であるとか、
ジョン・ライドンPublic image LTD. 「Album」(「Compact Disc」)であるとか。
意外な人と人、ジャンルとジャンルの異種格闘技を仕掛けるのがうまかった。
この PiL の作品に坂本龍一も参加していたので、そのつながりで頼んだのだろう。
シングル曲「Risky」のヴォーカルがパンクのゴッドファーザー
イギー・ポップという人選もビル・ラズウェルが引っ張ったのか。
 
1985年の「Esperant」が架空の民族音楽であるとしたら、
1987年の「NEO GEO」ではリアルな方向へ。
表題曲 ”NEO GEO” や ”OKINAWA SONG” はその名の通り沖縄に接近。
Virgin 移籍後の「Beauty」ではさらに進んで
OKINWA も TOKYO も NY も並列の多国籍・無国籍音楽。
コスモポリタンな音楽、というか。
 
このアルバムで歌った古謝美佐子は『オキナワチャンズ』のメンバーとして
坂本龍一の当時の海外ツアーにも参加。
ごく一部の限られたものであれ、沖縄音楽の存在を世界に知らしめる。
沖縄に戻ってきた後にネーネーズの結成に関わり、初代メンバーとなる。
そのネーネーズが絶えずラインナップを変えながら今も続いているというところを思うと
間接的なものであれ坂本龍一の影響は多くの広がりを持っているんだなと。
 
坂本龍一のアルバムは難しいことを考えず、
普通に聞いても美しく楽しめるものなんだけど、
その時々の教授の関心事、出会った人をもとに
作品発表時に現在進行形だった尖った音楽の見取り図にもなっていて、
そこのところを読み解きながら聞いても面白い。
 
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eels 「Beautiful Freak
 
アサイラム・レコード、ゲフィン・レコードの創設者デヴィッド・ゲフィンらと
立ち上げた『ドリームワークス』
その音楽部門と最初に契約したのが eels だった。
Eこと、マーク・オリヴァー・エレヴェットのユニット。
20代はロサンゼルスでシンガーソングライターとして活動するも芽が出ず、
30を過ぎた頃に結成した eels でようやくヒットするという苦労人だった。
「Beautifuk Freak」は1996年に発表された1作目となる。
 
その音楽性は中庸というか。
ポップ過ぎず、ロック過ぎず。うるさ過ぎず、静か過ぎず。
真面目過ぎず、ふざけ過ぎず。速くもなく遅くもなく。
正統派のようでいて前衛的でもある。
なのにその音楽は、特に僕のような人の、心を打つ。
彼の心の奥にある寂しさ、誠実さが美しい輝きを放つ瞬間がある。
 
かつて彼の音楽を語るとき、必ず話題に挙げられていたのは
次々と降りかかった家族の死であった。
19歳の時に父を亡くし、eels でデビューした頃に姉が自殺。
後に母も、闘病生活の果てに亡くなった。
そのことが大きく影響しているのかもしれないし、していないのかもしれない。
その渦中にあった00年代前半までの作品には曰く言い難い磁力があった。
身辺が落ち着いた00年代後半以後は憑き物が落ちてアクが抜けたかのような。
たまたま僕がそう感じたというだけか。
ただ単に彼の音楽が成熟した、ということなのか。
 
2作目の1998年、「electro-shock blues」が代表作となる。
"Last Stop: This Town"もヒットした。
僕が新卒で会社に入った1999年、
新入社員研修で同じグループとなった同期の女の子と話していたら
洋楽が好きだというのでおススメを聞いたらこのアルバムだった。
借りて聞いたらよかったので僕もすぐ手に入れた。
以後、今に至るまでほぼ全てのアルバムを買った。
流通経路の限られた限定盤のライヴアルバムも運よく買うことができた。
 
なのになぜかこの1作目は持っていなかった。
深い意味はないと思う。そういう巡り会わせだったというだけ。
ジャケットに写る少女の両目が不自然に大きく加工されて、
こちらを見つめているというのがどこか怖かった、というのもあるか。
eels はベストアルバムで聞くよりも個別のアルバムを聞く方がいいなと思って、
iPhone からベストアルバムを外す代わりにこの1作目を中古で安く買い求めた。
 
”Novocaine for the Soul”
”Not Ready Yet” ”My Beloved Monster”
といったその後のライヴでも定番となる曲を収録し、
そのスタイルは1作目にして完成している。
2作目と負けず劣らず人気なのも頷ける。
白い服を着た少女は四つん這いとなって、
その前には茎から折られた花が一輪。花弁がいくつか散っている。
覗き込むようにこちらを見つめる目を見ていると吸い込まれそうになる。
この不思議な磁力こそが eels だったのだな、と今にして思う。
 
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町田町蔵 「どてらいやつら」
 
町田康と席を隣り合わせたことがある。
今から10年ぐらい前か。
イシス編集学校にのめり込んでいろんなコースを受講していた頃、
最難関コース、守破離の離の修了式が竹芝ふ頭近くのホールで開催された。
編集学校では終了・卒業のイベントを『感門之盟』と呼ぶ。
その時がちょうど開校10周年の節目だったので、
校長:松岡正剛の友人・知人が多くゲストで呼ばれた。
能楽師の安田登、江戸学者の田中裕子、資生堂会長の福原義春など多士済々。
その一人が町田康。校長との対談のコーナーがあったんだったか。
 
控室で待つのではなく、普通に客席に座っていた。
ひとつ開けて隣の席に僕は座ったんだけど、怖くて話しかけられなかった。
「メシ喰うな」のギラギラした、あるいはその後のギョロッとした目つきはそこになく、
眼鏡をかけた、ごく普通の疲れた人のように見えた。
だけどかなり神経質そうで、話しかけるなどもってのほか
というオーラをジワジワと放っていた。
握手やサインを求めたら怒りだして席を立って出て行ってしまいそうな。
 
1996年、それまでの町田町蔵名義ではなく、
町田康として処女作『くっすん大黒』を発表。
これは事件だった。
伝説のパンクバンド INU のぶっとんだヴォーカルが小説?
しかも読んでみたらそれまでどこにもない異色の文体だった。
あの頃、文学好きは映画好きでもあり、音楽好きでもあった。
町田康の作品が出るたびに皆、貪るように読んでいた。
 
一方で実際に町田町蔵の音楽を聞いていた人は少なかったと思う。
INU「メシ喰うな」は1981年に発表されて以来何度も再発されていたし、
90年代前半の「腹ふり」「駐車場のヨハネ」も
日本語にこだわった独特の世界観を持つアルバムとしてそれなりに話題になっていた。
だけど一言さんお断りというか、不意に足を踏み入れたら怖い大人に睨まれるような、
そんな近寄りがたい敷居の高さがあった。
その後の「脳内シャッフル革命」「犬とチャーハンのすきま」といったアルバムも
聞いたのは熱心なファンだけだったんじゃないか。
 
「どてらいやつら」はオリジナルは1988年、
『宝島』のJICC出版局よりカセットブックとして発表。
その後、1991年にパルコのレーベルでCD化され再発。
クレジットを見たらじゃがたらのスタジオでもレコーディングされていた。
こういったところに時代を感じさせる。
以後、残念ながら再発されず。
 
カセットブックは80年代半ばの一時期に流行ったメディア。
雑誌や書籍とカセットテープがセットになっている。
P-MODEL 「SCUBA」
坂本龍一 「AVEC PIANO」
といった作品が世に出た。
正直、僕も実物は見たことがない。
「SCUBA」「ベトナム伝説」はその後CD化されたのを見つけて買った。
従来とは異なるルートで販売する音楽作品のため、
実験的でアングラな音というイメージがある。
 
この「どてらいやつら」もだいぶ前に中古で買って持っていたが、帯が欠落していた。
帯付きが DiskUnion で安く出てきたので買い直した。
 
全編引用したくなるような独特な詩世界。
至福団名義で、ガセネタ、TACOの山崎春海が参加している。
ドラムとシンセが主体の音。他、ハーモニカとか鐘とか。
インダストリアルに影響を受けたと思われる
脅迫的なリズムと突拍子もないサンプリング? ノイズ。
それが途切れたかと思うと町田町蔵が変調された声で呟いたり絶叫したりと
展開が目まぐるしい。
 
パラノからスキゾへ。混乱から混沌へ。過激から歌劇へ。
全てがパロディにして皮肉な喜劇。
全てが「なんちゃって」で済まされそう。
その人なりの、アリスの不思議で不条理な世界を
いかにして言葉や音のいたちごっこで現出するか。
分裂症的な情報過多の状況を作り出すこと自体が面白いこととされていた、
なんとも80年代な一枚。
後の「腹ふり」「駐車場のヨハネ」では北澤組と共闘、
より骨格のはっきりした、ギター主体のロックのダイナミズムへと移行する。