先週買ったCD #24:2021/03/22-2021/03/28

2021/03/22: www.hmv.co.jp
大瀧詠一Long Vacation 40th Anniversary Edition」 \2750
浅川マキ 「シングル・コレクション」 \2750
原田知世 「恋愛小説3 -You & Me」 \3036
Pizzicato One 「前夜 ピチカート・ワン・イン・パーソン」 \3036
LOST AARAAF 「LOST AARAAF」 \4026
Can 「Out of Reach」  \2640
Kalima 「Night Time Shadows」 \2750
(V.A. 十三月) 「難波BEARS OMNIBUS 「日本解放」」 \2750
 
2021/03/22: www.hmv.co.jp
Swamp children 「So Hot」 (\2750)
Super Furry Animals 「Radiator 20th Anniversary Deluxe Edition」 (\2297)
HMVのポイントで
 
2021/03/22: ヤフオク
Lisa Gerrald 「The Best of Lisa Gerrald」 \1380
 
2021/03/24: www.hmv.co.jp
Bill Laswell 「Baselines」 \2148
Material 「One Down」 \2148
Material 「Temporary Music」 \2410
Bill Laswell 「Hear No Evil」 \1511
Pere Ubu 「Live...Fox Warfield '80」 \1056
Sly & Robbie 「Reggae Masterpieces Vol.1」 \2706
Sonny Landreth 「Live At Jazzfest 2019」\2171
Gilberto Gil 「Kaya N'gan Daya」 \1379
 
2021/03/26: diskunion.net
近藤等則・IMA 「Human Market」 \680
Pixies 「Bosanova」 \2450
 
2021/03/26: TowerRecords 新宿店
Tuxedo 「The Best of Tuxedo」 \2970
Foo Fighters 「Medicine At Midnight」 \2640
Chris Cornell 「No One Sings Like You Anymore」 \2750
Gretchen Parlato 「Flor」 \2640
Lake Street Dive 「Obviously」 \2690
 
2021/03/27: www.hmv.co.jp
Diamanda Galas 「Defixtones Will And Testament」 (\1210)
HMVのポイントで
 
2021/03/27: diskunion.net
(Soundtracks) 「Alien」 \4050
 
2021/03/28: diskunion.net
Humbert Humbert 「FOLK 2」 \5300
Tower of Power 「Live And In Living Color」 \1500
 
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Can 「Out of Reach」 
 
Can は<70年代><ドイツ>の<プログレ>バンドという枠を超えて、
唯一無二の音楽を生み出し得たオリジネーターだと思う。
カリスマ的なパフォーマーとしてだけではなく、
ロックミュージックの音楽的可能性を広げたという意味で
ロック史上最高の冒険者、探検者の一組に挙げられる。
その貢献度の高さ、後続への影響力の大きさという点では
ジミヘンやビートルズに並ぶ。本気で僕はそう思っている。
 
フォークもディスコも民族音楽も取り込んだ雑食性が
ニューウェーヴ、テクノ、ダブ、音響系、ローファイと
後の世代の様々な音楽を予見したとか、
前衛音楽としてのロックを極限まで突き詰めたとか。
ホルガ―・シューカイは傍受した短波ラジオを切り貼りして
サンプリングミュージックの元祖となったとか、
音楽を編集するという発想を最初に打ち出したとか。
(ソロの ”Persian Love” は日本でもCMに使われて、
 スネークマンショーのアルバムにも収録されていた)
 
ベースのホルガ―・シューカイとキーボードのイルミン・シュミットは
シュトックハウゼンに師事するなどアカデミックに現代音楽を学んできて、
ギターのミヒャエル・カローリはその教え子という出自の高さなのに
ヒッピー文化の影響を受けているとか。
その3人に対してドラムのヤキ・リーベツァイトはフリージャズ出身という
ハイレベルな異種混合に、ヴォーカルのマルコム・ムーニー、ダモ鈴木
素人という破れかぶれさがよかったとか。
架空の民族音楽のシリーズを真剣に100曲ぐらいつくったとか。
 
ピースをひとつひとつ埋めていっても大きな空白が残って、
その向こうにこの世ならぬ空虚なものが垣間見える。
(そこには代表作「Monster Movie」の顔のないアニメのロボットや
 「Tago Mago」の架空の島が映し出されるであろう)
 
洋楽を聞き始めてから
より異質なもの、尖ったもの、危険な匂いのするものを追い求めていた
高校生の僕が、Can を知るのは当然の流れであった。
聞きたい。しかし、国内盤が出ているわけがなく、
90年代初めの青森では通信販売以外に輸入盤も入手できる見込みもなく。
町のCD屋(Be-Bop / Pax / 新星堂)にそもそも
売れそうにない過去のジャーマン・ロックがあるわけがない。
かろうじて、80年代後半に再結成したときの「Rite Time」は
CDレンタルから借りることができたが、
雑誌のレビューなどを読むとこれは Can の本質ではないようだ。
(最初に聞いた Can ということで僕はとても愛着があるけど)
70年代の諸作は東京に行く機会を待つしかないか……
 
……のはずが。前にも書いたけど、
Can を扱っていた Mute Records が YMO などで知られる
アルファレコードと契約したことで旧作がボックスセットでバンバン再発された。
Depeche Mode / Nick Cave & The Bad Seeds / Einsturzende Neubauten ......
狂喜乱舞でお金がいくらあっても足りなかった。
僕がそのことを知った時には Can のボックスセット
vol.1 (「Monster Movie」「Soundtracks」「Delay 1968」)
vol.2 (「Tago Mago」「Ege Bamyasi」)
青森市新町の Be Bop では既に売り切れ。発売直後の
vol.3(「Future Days」「Soon Over Babaluma」「Unlimited Edition」)
vol.4(「Landed」「Flow Motion」「Saw Delight」)
は入手することができた。
Rockin'on の広告を見ると vol.5 も予定されていて
その後のセルフタイトル作「Can」などが収録されるはずが、
結局は発売されなかったようだ。
アルファレコードのボックスセットのシリーズも最初こそ威勢がよかったが、
そんなに売れなかったのか、尻すぼみとなった。
 
この vol.3「Future Days」は全く初めての音楽的体験で
何回も何十回も繰り返し聞いた。
どこかで読んだレビューには『空気より軽い音楽』とあった。
エキゾチックなのに地球上のどこかではなく、
人間が死に絶えて奇妙な植物のはびこる未来世界を訪れるかのようだった。
 
高校3年生の夏、上京する機会があった際に
渋谷の HMV を教えてもらって、
初めて大型輸入店に足を踏み入れた。
あの時はテンパッったなあ。
残り少ない小遣いで何を買うか、2時間も3時間もかけて選んだ。
その1枚が「Monster Movie」だった。
 
その後全部のアルバムを買い揃え、紙ジャケで出ると買い直して。
ベストアルバム「Cannibalism」のシリーズや
リミックス集「Sacrilege」や未発表曲集「Lost Tapes」も買った。
「The Peel Sessons」も持っている。
なのに、唯一持っていなかったのがこの「Out of Reach」
1978年という彼らの終わりの頃の作品。
Traffic から移籍したロスコ―・ジーのベースとヴォーカル、
リーバップ・クワク・バーのパーカッションを編成に加え、
その代わりに中心人物ホルガ―・シューカイはスタジオワークに専念。
このアルバムでは遂に不参加となって、
一時期は正規のアルバムラインナップから外されていた。
 
僕が90年代に見かけたときは彼らの立ち上げた Spoon Records ではなく
怪しげなレーベルからで、海賊盤なのかよくわからず。
作品そのものの評価も低かったのでわざわざ買うことはなかった。
ようやく名誉回復を遂げて Spoon Records / Mute Reords から
正規カタログ作品として発売されたのは2010年代も半ばになってから。
不遇の時代があまりにも長かった。
 
紙ジャケとなって昨年初めて、国内で発売された。
聞いてみる。評判ほど悪くはないと思う。
ホルガ―・シューカイは確かに不在だが、
前作「Saw Delight」からベースはロスコ―・ジーが担当していた。
リーバップ・クワク・バーも引き続き参加、
イルミン・シュミット、ミヒャエル・カローリ、ヤキ・リーベツァイトも健在。
確かに核となるものを失って、Canならではの異質性、異物性は後退したが、
曲によってはフュージョンっぽかったり、ディスコだったりで
Can が自ら過去の楽曲の身体性を再構築したかのよう。
ああ、この前のめりな展開はどこかで聞いたことあるなあ。
決して代表作にはならないが、そこまでひどくはない。
「Saw Delight」や「Can」といった後期のアルバムが好きなら、
普通にこのアルバムも聞けると思う。
 
僕自身はこのアルバム、ホルガ―・シューカイが、
自身を不在にさせることで生み出されるものが
自己編集していく過程を外側から眺めたアルバムなんじゃないかと思う。
ホルガ―・シューカイが仕掛けた、最高の編集裏技。
しかし横で見てるだけじゃ物足りなくなって、
自作「Can」で復帰したんじゃないかと。
そんなふうに推測する。
 
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Lisa Gerrald 「The Best of Lisa Gerrald」
 
テレ東の『なんでも鑑定団』を見ているときに妻が、
僕だったら何を出すかと話を振ってきた。
順当に言えば裸のラリーズだろうか。
ヤフオクでは何万と高値が付いているが、実際の価値はどうなのか。
しかしオリジナル3枚のうち、1枚欠けている。
思い出したのが、Dead Can Dance の紙ジャケ。
2008年に出た9枚が全部揃っている。
Amazon ではどれも1万から2万の値段がついていて、
高いのは4万以上となっている。
8作目のライヴアルバム「Toward The Within」は
いっとき、何が起きたのか100万の値がついていたように思う。
写真を撮っておけばよかった。
僕に何かあったら、これを売るようにと妻に言う。
ヤフオクで9枚セットにしたら10万で出品できるか。
いや、1枚ずつ単品で出した方がそれぞれ競り上がっていくか。
 
そんなことがあって、かなり久しぶりに聞き直した。
それこそ紙ジャケが出た時にそれぞれ一度聞いたきりだろう。
Cocteau Twins や This Mortal Coil を輩出した 4ADレーベルなので
耽美的な、漆黒のサイケデリアを思い起こす。
その中でもクラシック寄りだったか。
 
……後期のアルバム5枚をイッキに聞いて愕然。
昨年ヨーロッパ中世の音楽に興味を持った一方で
ワールドミュージックというよりも非西欧の音楽と呼ぶべきか、
アフリカや中近東の音楽も聞いていた僕にとって
両方をブレンドした、理想的な音楽はここにあった。
CD棚に10年以上眠っていた!!
(前者に最も接近したのは80年代後半の「The Serpent's Egg」「Aeon」
 後者を取り込んだ集大成が90年代前半の「Into the Labyrinth」「Spiritchaser」)
そのサウンドが完成した、後半の5枚を iPhone に入れた。
そのために他のアルバムを5枚、時間をかけて選んで iPhone から抜いた。
 
1996年の「Spiritchaser」で解散、21世紀に入って再結成して
ライヴアルバムやスタジオアルバムも発表しているが、
ヴォーカルのリサ・ジェラルドはソロで作曲家、歌手としても活動を続けていた。
主に映画のサントラ方面。
一般的には Dead Can Dance よりも
2010年の大河ドラマ龍馬伝』の主題歌で知られるか。
綾瀬はるか主演で『座頭市』をリメイクした『ICHI』もこの人。
 
サントラの方の仕事も聞いてみたいとベストアルバムの国内盤をヤフオクで落札。
(合わせて、『ブラックホーク・ダウン』のサントラも。
 ハンス・ジマーがメインを担当していて、リサ・ジェラルドも1曲歌っている。
 The Clash のジョー・ストラマ―も1曲参加していた)
 
ベストアルバムは Dead Can Dance から半分、ソロから半分。
座頭市』や『ICHI』の前なのでそこからは収録されず。
グラディエーター』から3曲。
マイケル・マン監督がモハメッド・アリを描いた『アリ』からも1曲。
あと、よく知らなかった映画なんだけど『クジラの島の少女』からも1曲。
 
リサ・ジェラルドの声は荘厳にして壮麗。
ギリシア神話勝利の女神が進軍ラッパを鳴らし、
戦死者の魂を鎮めるため祈りを捧げるかのような。
中世の大聖堂いっぱいに響き渡る、狂気を孕んだドラマチックな声。
そうだよなあ。これはサントラ向きだよなあ。
Dead Can Dance の密室的な音楽から解き放たれるのは必然だったか。
 
解説を読んでなるほどなあと思ったのは
Dead Can Dance 自身はオーストラリアの出身で後にイギリスに渡ったんだけど、
リサ・ジェラルドの両親はアイルランドからの移民で、
ギリシアやトルコから来た移民の多く暮らす地区に住んでいた、
小さい頃から彼らの演奏する民族音楽に触れていたのだと。
それが後に『グラディエーター』へと結実していく。
聞いているとそのスケールの大きさにイマジネーションが様々に広がっていく。
このベストアルバムでも最後に収録された
主題歌の”ついに自由に”は彼女の代表曲のひとつだろう。
 
それにしても、リサ・ジェラルド然り、後に映画音楽の世界で成功した人が
意外なロックバンドで活動していたというケースがいろいろあって。
有名なところではB級青春ホラー映画から抜け出てきたような
Oingo Boingo のダニー・エルフマン。『バットマン』シリーズなどの。
前述のハンス・ジマーも”ラジオスターの悲劇”の Buggles に関わっていた。
トゥームレイダー』や『デアデビル』のグレアム・レヴェルは
インダストリアルノイズの SPK だった。
この辺りも整理してみると面白そうだけど、またの機会に。
 
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Gretchen Parlato 「Flor」
 
ジャズヴォーカルとは何であるか。何を求めるか。
人それぞれだろうけど、僕としては孤高、ということになる。
聴き手を突き放すような、気高い孤独。その冷ややかな感触。
その人の声が、歌が、息遣いが形作る一人きりの世界をいかに伝えるか。
そこにあるのはバンドのメンバーと楽器、ステージないしは録音スタジオと、
聴き手と聴き手のイマジネーションだけ。
余計なものは何も挟まない。
一人の歌い手と一人の聴き手との間に生まれる儚い糸を辿っていく。
 
(だから、The Manhattan Transfer など
 卓越したハーモニーの技術を誇るグループはあるけど、個人的には熱心に聞くことはない。
 求めるのは声そのもののハーモニーではなく、関係性のハーモニー)
 
グレッツェン・パーラトはニューヨークを代表するジャズ・ヴォーカリスト
その10年ぶりのスタジオ録音作。
僕が最初に聞いたのは2013年の「live in nyc」で、
それまでこの人のことは知らなかったんだけど、
俯いて切ない表情を浮かべながら、祈るようにハンドクラップを行っている姿を捉えた
ジャケットがとても印象的で、店頭で見かけて即買いしたら大当たりだった。
声や歌よりも、息遣い。
恋をすること、日々を生きること、その中で大切にするものがあるということ。
その気怠さ、やるせなさをひとつひとつの呼吸、その間合いで表す。
生きていくうえで人間という生き物は息を吸って吐くという動作を
永遠に繰り返さないといけない。
それをいかに芸術の域にまで高めるか。
それがジャズヴォーカルなんだな、と僕は学んだ。
 
バックの演奏はピアノ、ベース、ドラムのトリオ。
オーソドックスな編成のようでいて、クラブ系を通過した新しい音だった。
これが当時のニューヨークの最先端のジャズだったのだろう。
スタジオ録音の前作「Lost And Found」は
ジャズ、ソウル、ヒップホップを自在に行き来する凄腕プロデューサー、
ロバート・グラスパーが手掛けていた。
 
今月発売された新作「Flor」でも
その息遣い、新しい音、というのは変わらず。
ブランクを感じさせない。
前作「live in nyc」が真夜中の狭いロフトだとしたら
「Flor」は郊外に移り住んで日差しの溢れるテラスで過ごす日曜の朝か。
 
今回はよりブラジル音楽に接近しているけど
古き良きサンバ、ボサノバではなくてやはり今のこの時代を捉えたブラジルの音。
自作の曲が大半、ブラジルの作曲家の曲は少ない。
戦前から活躍していたブラジル音楽の父ピシンギーニャの”Rosa”とかそれぐらい。
アニタ・ベイカーの80年代ソウルクラシック ”Sweet Love”などをカバーしている。
変わったところではヨハン・セバスティアン・バッハ
無伴奏チェロ組曲”からも1曲選んで、穏やかにスキャットするなんてのも。
ということはしない。あえてなのかどうかはわからないけど。
自分自身の歌い方、息遣いをブラジルの音楽に血肉化したうえで
他のジャンルの曲もそのマナーで染め上げていく。
 
でもそれもニューヨークから見たブラジルというハイブリッドなんですよね。
洗練された21世紀の、現代のブラジル。
それはデジタルとオーガニックのハイブリッドでもある。
 
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Chris Cornell 「No One Sings Like You Anymore」
 
4枚組のベストアルバムというものがある。
僕が iPhone に入れているものだと
ジョニ・ミッチェル 「Love Has Many Faces」
エミルー・ハリス 「Songbird
4枚もあると一気に聞くと50曲ぐらいになる。
飽きるかというとそれはない。
エミルー・ハリスとクリス・コーネルのは年代順の構成だけど
未発表曲や未発表バージョン、ライヴバージョンがたくさん入っている。
ジョニ・ミッチェルのは4幕劇に見立てたストーリーに沿って曲を並べていて、
よくできてるなあといつもため息が出る。
 
全曲集ではなくあくまでベストアルバムなので
それなりに長いキャリアがないとできない。
ジョニ・ミッチェル、エミルー・ハリスは
60年代、70年代から活動しているからできること。
クリス・コーネルは80年代半ばからとなるけど、
SoundgardenRage Against The Machine のメンバーと組んだ Audioslave
そしてソロでの活動が相当濃密だったのだろう。
(ちなみに、マーク・ロマネックが監督した Audioslave ”Cochise”のビデオクリップは
 これぞ男のロック、という内容でかなりグッとくる)
 
2017年、52歳で亡くなる。自殺とされる。
今回の 「No One Sings Like You Anymore」 は最後に完成させたアルバム。
4年経って今月発売された。
スタジオ録音で全曲カバー。
上記4枚組でもプリンス、シネイド・オコナー”Nothing Compares 2 U”
ボブ・マーリー ”Redemption Song”
Led Zeppelin ”Thank You”
などをライヴでカバーした曲が収録されていた。
 
”Nothing Compares 2 U” はこちらにもスタジオ版で。他、
Guns N' Roses ”Patience”
ジョン・レノン ”Watching The Wheels”
Electric Light Orchestra ”Showdown”など。
僕はよく知らなかったんだけど、解説を読むと
ジェリー・ラゴヴォイという70年代ソウルの作曲家の曲を最初と最後に取り上げている。
この辺りが彼のルーツなんだろうな。
 
Soundgarden / Audioslave のようなゴリゴリのハードロックではもちろんないけど、
ソロの「Songbook」のようなギター一本の枯れた弾き語りでもない。
エレクトロニクスとアコースティックをバランスよく配分した、抑制の利いた大人のロック。
クリス・コーネルのあの声があればそれでいいんだけど、
どこか影が半分薄くなっているように感じるのはこれが遺作だからと知っているからか。
”Patience”の力強い歌い方が、むしろ寂しさを感じさせる。
 
心に染みる声。
一人の男として、栄光と挫折を、悲しみと喜びを知る声。
それがとても物寂しく聞こえてしまう。
 
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LOST AARAAF 「LOST AARAAF」
 
LOST AARAAFは不失者などの活動で知られる
灰野敬二が最初に参加したグループとなる。
1970年、渋谷のヒッピーや家出少年たちの巣窟のような場所に
出入りするうちにメンバーが出会ったようだ。
1974年に解散。
 
ドラムの高橋廣行は後にロックのイベントを多数手がけるようになり、
調べてみたら90年代に入って制服向上委員会をプロデュースしていた。
いろんな紆余曲折があったのだろう。
ピアノの浅海章は消息不明らしい。
灰野敬二はここではまだギターを弾かず、
ヴォーカルというか絶叫とポエトリー・リーディングに専念し、
ところどころインドのコブラ笛を吹いている。
 
基本はこの3人の即興。
事前に用意されたテキストの朗読と
ドラム、ピアノのフリージャズ的なインプロビゼーション
(1曲、ピアノが別メンバーとなってベースも加わっている)
シュールで絶望的なイメージの連続。
どの詩も必ず、殺すや死といった言葉が含まれている。
その演奏にロック的なイディオムは皆無。
フリージャズだけを知っている素人の、殴り合いがあるだけ。
なのに緊張感高く聞けるのは相当な集中力とセンスがあったからだろう。
当時のアングラ音楽の中でも
No.1と呼んでよいような高いレベルにあるのではないか。
 
それまで正式な音源は出ていなかったのだろう。
昨年末、結成50周年をきっかけに灰野敬二、高橋廣行が
コンパイルしたライヴ音源、2枚組となる。
1枚目が1971年の三里塚での「日本幻野祭」と
精進湖畔の「精進湖ロックーン」での演奏、というところに時代を感じさせる。
60年代後半の学生運動の時代、
三里塚は成田空港建設を巡って反対派と政府とが衝突を繰り返す
闘争の地であった。この音楽イベントも左翼系の主催するものだった。
灰野敬二の絶叫により生まれる混沌。
ヤジりヤジられ、アジりアジられ。
実際、純然たる音楽というよりも
そういった運動の鬱屈したパワーが生み出すものも大きかったのではないか。
 
付属する厚めの冊子には灰野敬二、高橋廣行の詳細なインタビュー。
巻末には演奏の記録。
共演者として名前を多く挙げられているのは、
頭脳警察裸のラリーズ村八分、ブルース・クリエーションなど。
他、はっぴいえんど、浅川マキ、RCサクセション、スピード・グルー&シンキなど。
 
ちなみに僕は一度だけ、灰野敬二のステージを見たことがある。
2013年、ジョセフィン・フォスターの来日公演が渋谷 www で行われたときに共演していた。
当時の日記を探すと、こんなふうに書いていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
老婆のような銀色の長く伸ばした髪、黒のサングラス、全身黒づくめ。
ルーズリーフに束ねたいたのは手書きの歌詞だったのか。
1曲目は小さなグロッケンシュピールを一音一音振り絞るかのように叩き、
振り回しながら鎮魂歌のように歌った。2曲目は竪琴を爪弾いた。
3曲目は椅子に座って台の上に横置きしたギターの弦に
輪ゴムを結わえ付けて伸ばしたり広げたりしながら、
宇宙の果てを通り過ぎる虚空の風のような音を出した。
4曲目は弦とネックの間に銀のスプーンを挟み込んで
海底に沈んだ幽霊船が鬼火を探すような音。
5曲目と6曲目は座ったまま普通にギターを抱えて訥々と歌った。
ピックではなく指で直接弾く。エコーを最大限に効かせて、
まるで北極点の氷山に降り注ぐオーロラ。
最後は半分に切った鳥籠のようなものをバイオリンの弦で弾いた。
往年のデレク・ベイリーはこんな感じだったのだろうか。
 
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(Soundtracks) 「Alien
 
リドリー・スコット監督、シガニー・ウィーバー主演の『エイリアン』
SF映画の金字塔。
僕なんかからするとリドリー・スコット監督は
もう一つの金字塔『ブレードランナー』も撮っているので
SF映画の巨匠というかヴィジョナリストというイメージを持っていて、
その後の『ハンニバル』や『グラディエーター』といった
SF映画はおまけのように思ってしまう。
また、『エイリアン』はシリーズ化して2作目以後もヒット。
2作目が後に『タイタニック』『アバター』が超特大ヒットとなるジェームズ・キャメロン
と若手の登竜門となった。
それぞれのキャラ、作家性が投影されていることを意識しながら見ると面白い。
2作目なんて『ターミネーター』1・2のジェームズ・キャメロンだけあって
バトルシーンはほんと手に汗握る。
 
……と語りだすと止まらない。
決して普遍的な名画ではないが、
その後の映画史に少なくない影響を残した傑作だと思う。
そのサントラが、今は入手しにくいのかな。
サントラの再発専門のレーベル『Intrada』から完全版2枚組として発売されるも、
限定盤のためすぐプレミア。
amazon だと1万近く、DiskUnion でも4,000円もした。
このレーベルから出た『カプリコン1』のサントラ完全版もやはりそれぐらいになっていた。
 
この2枚組のうち、1枚目はオリジナルスコア(いわゆるフィルムマスター)の完全版、
2枚目は1979年当時に発売されたオリジナルのサントラ(アルバムマスター)となる。
ややこしいけど、前者は映画で使われた音楽そのもの、
後者はアルバムとして再構成されたものとなる。
サントラも昨今、映画に使われていた曲が様々な理由で収録されていなかったり、
編曲・録音し直されて収録されていたり、
逆に映画に使われていなかったけどインスパイアした曲が入っていたりと
映画本編からだいぶかけ離れたものもありますからね。
両方を楽しめる構成になっているのはとてもありがたいものです。
 
で、肝心の曲ですが。
作曲したのは『カプリコン1』『グレムリン』『ポスターガイスト』などの手練れ、
ジェリー・ゴールドスミス。オーケストラが演奏する。
『エイリアン』は少なく見積もっても5回は見ているはずなのに
劇中で使われた曲やタイトル曲が恥ずかしながら全く思い出せなかった。
有名人の歌った主題歌がある、というわけでもない。
「The Landing」「The Shaft」「Parker’s Death」といった
シーンを現すシンプルな曲名になっていて、
激しく弦楽器がかき鳴らされ、打楽器が打ち鳴らされる曲がありつつも
多くは状況音を拡張したような、シーンを補完するようなさりげない曲が続く。
映画を見ていたときにはそこに音楽が伴っていることに
決して気づいていなかったであろう。
だけど、そういう曲の方が不安や恐怖を、束の間の平穏を、
じわじわとかきたてる力を持つ。
一見地味なようでいて、技巧の限りを尽くしている。
 
うまいなあと思いつつも、いや、昔のサントラってそういうものだったよな、とも思う。
90年代以後、ヒット曲満載のプレイリストみたいなサントラも楽しいが……
本当によくできたサントラって、主題歌以外は全く記憶に残らず、
だけど聞いた時に映画の全体的なムードを
細部から思い起こさせるようなものなんじゃないか、ということを考えた。