先週買ったCD #25:2021/03/29-2021/04/04

 
2021/03/29: www.amazon.co.jp
 
2021/03/30: diskunion.net
Elliott Smith 「either/or - expanded edition」 \2850
 
2021/03/30: tower.jp
 
2021/03/30: tower.jp
Super furry Animals 「Fuzzy Logic 20th Anniversary Edition」 (\2421)
タワレコのポイントで
 
2021/03/31: diskunion.net
 
2021/03/31: www.amazon.co.jp
Coil 「musick to play in the dark vol.1」 \2700
 
2021/04/02: www.amazon.co.jp
Yatsura 「We Are Yatsura」 \1
 
2021/04/02: www.amazon.co.jp
Mudhoney 「every Good Boy Deserves Fudge」 \1822
 
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先週、『エイリアン』のサントラを聞いたことを書いた。
ジェリー・ゴールドスミスによるスコアをオーケストラが演奏する。
ヴォーカルなし。売れ線の主題歌、挿入歌なし。
派手さはないものの、それでつまらないということもない。
シーンの襞に寄りそうことで命を持つ楽曲にホッとするものがあった。
昔のサントラってこうだったよなあと。
 
その余韻がある中で、新宿のDiskUnionにCDを売りに行った。
紀伊国屋書店の8階。
30分で査定が終わるというのでそのまま店の中で待つことにした。
自然と足はサントラコーナーへ。
ふと目に留まったのが、「バージニア・ウルフなんかこわくない
『卒業』や『クローサー』のマイク・ニコルズ監督の処女作。
ダスティン・ホフマン主演の『卒業』は
言わずと知れたサイモン&ガーファンクル”Sound of Silence”
クローサー』はダミアン・ライスの名曲”The Blower’s Daughter”
いい曲使うよなあという印象を持つ。
ちょっと聞いてみようか、という気持ちになった。
映画の一場面を青と茶で彩色したジャケットもカッコよかった。
 
映画も30を過ぎた頃か、レンタルで借りて見ている。
ヴァージニア・ウルフにはまったことがあった。
『ダロウェイ夫人』や『波』を読み、伝記的要素を持つ
めぐりあう時間たち』も見た。
(にコール・キッドマンがアカデミー主演女優賞)
かつてのめりこんだ編集学校の課題に
1910年の年表から気になる出来事をひとつ選び、
関わる人物の評伝を書くというのがあった。
僕が選んだのはヴァージニア・ウルフ
『1910年の12月かそこいらで人間の性格が変わってしまった』という言葉。
(ここで言う人間とは自分自身のことではなく、
 第一次大戦ロシア革命を前にして人類全体を指す)
姉、ヴァネッサ・ベルの評伝を僕は書いた。
経済学者ジョン・メイナード・ケインズら周辺の人物たちを配し、
ヴァージニア・ウルフに宛てた手紙という形式で。
 
ほぼ作家ヴァージニア・ウルフは関係ないんですよね。
元々は1962年の戯曲。
ブロードウェイで上演され、トニー賞も受賞している。
映画化は1966年。エリザベス・テイラーが自身二度目の主演女優賞。
調べたら映画史上初めて『Fuck』の言葉が口にされて物議を醸したのだとか。
舞台の映画化だけあって会話劇。中年と若者、世代の異なる二組の夫婦の。
パーティーの後に招かれて、ひょんなことからそれぞれの関係にひびが入っていく。
腹の底に押さえていた怒りをぶつけ合い、隠していた秘密がさらけ出される。
現代における結婚とは、個人とは、と問うた。
 
詳しくは知らなかったんだけど、エリア・カザン欲望という名の電車
スタンリー・キューブリックスパルタカス』などで名を上げたようだ。
郊外のキャンパスに教授たちの住む瀟洒な家がある。
その中で繰り広げられる、仮初めの、穏やかで知的な生活。
その根底で蠢く抑圧された欲望。
音楽もまた知的で、美しく、不安を掻き立てる。
どこを切り取っても破滅の後の静けさを感じさせる。
引用されたモノローグの断片も、最後はヒステリックな金切り声になる。
ドラマチックになりすぎず、淡々と悲劇を高めていく。
聞き終わると映画のラストにあったような、白け切った夜明けを感じさせる。
とても素晴らしいサントラだと思った。
 
ジャズのハモンドオルガン奏者、
ジミー・スミスにも同じタイトルのアルバムがあった。
大木の前に立つ二人、女性は狼のお面をかぶっているというジャケットが気になって
こちらも取り寄せた。
オーケストラとオルガンの共演というのがテーマ。
片面をオリヴァー・ネルソン、もう片面をクラウス・オガーマンが編曲していた。
アレックス・ノースによる映画版ではなく、舞台版の方の曲だった。
同じくブロードウェイのミュージカル、
ベンチャーズでも知られた”十番街の殺人”も演奏している。
 
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Mudhoney 「Every Good Boy Deserves Fudge」
 
つい先日のことなのに
なんで Mudhoney を聞き直したくなったのか思い出せず……
大丈夫か、俺。
Velvet Monkeys / The Monekywrench 
といったサイドプロジェクトも合わせて聞いた。
(The Monekywrench はもっと評価されてしかるべきだな。
 特に1作目。Mudhoney よりもルーズでタイトなブルースロック)
 
NirvanaSoundgarden と並ぶ、
1990年代初めのグランジムーヴメント、
その中核にあった Sub Pop レーベルの顔。
母体になった Green River は Pearl Jam と Mudhoney に分裂したという出自。
だけど当時はこれらスターダムにのし上がったバンドと比べると地味な存在だった。
僕もピンとこなかった。
でもオッサンになった今聞くとこの枯れた
ずるずるザラザラなガレージロックの方がグッとくる。
Nirvana の曲が極論するとオールドスクールなロックと
ティーン向けのポップミュージックだけを源泉としているのに対し、
(それであれだけの名曲を生み出せるカート・コバーンの才能もすごいのだが)
Mudhoney はブルースやカントリーも通過しているというのが大きいのか。
 
(代表作「Superfuzz Bigmuff」がEPを元にした編集盤という事情もあり)
「Every Good Boy Deserves Fudge」はオリジナルのアルバムとしては2作目。
1991年発表で、当時の邦題は「良い子にFUDGE」
ジャケットの、一見カラフルで愉快なタッチの絵をよく見ると燃えて火を吹く船で、
人々が笑顔で死んでいくというブラックユーモアがバンドのスタンスをよく表していた。
 
洋楽を聞き始めてどっぷりはまっていた田舎の高校生としては
生まれて初めてリアルタイムに遭遇したロックミュージックのムーヴメントとして
Rockin'on でのディスクレビューで紹介された
マンチェスターグランジのCDは皆、欲しくなった。
そうもいかず、日々厳選して買うことになる。
そのとき親戚の誰かからお小遣いをもらったのか、新町の Be-Bop で買ったのが
このアルバムと、Love Battery「Dayglo」だった。
その月の新譜として Rockin'on のディスクレビューに載っていたのだと思う。
まだいろんなバンドがグランジとしてひとくくりだった頃。
Nirvana / Pearl Jam / Soundgarden が頭一つ抜け出していて、
いろんなバンドが、特に Sub Pop のバンドが、青田買いされて国内盤を出していた。
Mudhoney がその後、重要なバンドになるとは思いもしなかった。
なのに僕は、”Smells Like Teen Spirit” 級の名曲がない、地味だと棚の奥へ……
売らなかっただけでも偉いか。
 
2017年にリマスターされて再発されていると知って買い直し。
HMVタワレコも入手不可となっていたが、amazon にひょっこりあった。
新品よりも中古の方が高くなっている。amazon は時々そういうことがある。
 
いい音になって、音量を上げて聞く。
「Superfuzz Bigmuff」の裸の、剥き出しの、ドロドロズブズブの、ロック。
「Every Good Boy Deserves Fudge」ではそこに少し遊び心が加わる。
とはいえ若造が世の中を舐めて、好き勝手にロックをやってるだけ。
結局ね、このアルバムのことは知らなくてもいいし、
聞かなくても別に困らないんですよ。
でも、今もロックが好きという40過ぎたオッサンがこれを聞いて何にも感じないとしたら、
そこには大きな問題があると思うんですね。
 
ちなみに、米『ローリングストーン』誌の選ぶ
グランジ史上最高のアルバム50選では
1:NirvanaNevermind
2:Soundgarden「BadMotorfinger」
3:Pearl Jam「TEN」
4:Hole「Live Through This」
5:Mudhoney「Superfuzz Bigmuff
となっていた。
 
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マキシマム ザ ホルモンが久しぶりに? 世に出した作品。
リリース形態が自由気まますぎて何をどう捉えていいのか……
この10年、アルバムは2014年の「予襲復讐」だけ。
しかしそれも漫画とマキシマムザ亮君の談話式楽曲レビューなどが満載の大型パッケージで、
2015年の「Deka Vs Deka 〜デカ対デカ〜」はDVD3枚とBlu-Ray1枚と
CDが1枚で1作目のアルバム「耳噛じる」 のリメイク。
これ、パッケージに
『警告 この商品は必ず「START UP DISC」から再生してください』とあって
開くと『三種の神器②謎のスティック』というのが入っていて。
ゲームをクリアしないとメインのコンテンツが見れないらしい。
めんどくさい、と思っているうちに CD を iTunes に取り込んでそれっきり。
2018年の「これからの麺カタコッテリの話をしよう」は書籍という扱いで
やはり漫画と、5曲入りのCDという構成。
マキシマムザ亮君アウトサイダー広告代理店』というんだけど、
これも結局いまだに読んでない。
あ、『腹ペコえこひいきグルメクーポン』というのもおまけに入っていた。
全国の提携店で使える。
(そういえば昔、鈴木亜美も移籍を巡ってごたごたしていた時期に
 書籍扱いの CD を出していたな…… 事情が違うか)
 
どんだけかっこいい音でも CD の音源は完全に添え物。
いや、もうだったら漫画やゲームのコンテンツだけ出したら? と思うが、
そうなると逆に売れなくなるのだろう。
というかこれは、あれもこれも面白いもの組み合わせて出したいというサービス精神だな。
確かに手に取った時のパッケージとしての一体感はよくできている。
仕掛け人としてのマキシマムザ亮君のアイデアマンっぷりにはいつも驚かされる。
便所サンダルを履いてステージの脇で
不機嫌そうにギターを弾いていた姿からは想像がつかない。
生みの苦しみはたぶん、はんぱないだろうけど。
他のバンドはやらないようなぶっとんだことを次々にやってのける。
その究極の目的は CD などのプロダクトを売ることではなく、
ライヴに来てくれ! 俺たちを見に来てくれ! ということなのだろう。
 
2号店というアイデアもびっくりしたなあ。
公募して、合宿してメンバーを決めてという過程も
『ガチンコ ザ ホルモン』というタイトルで Youtube にて配信したようだ。
マキシマム ザ ホルモンの楽曲を好きな味付けで演奏するバンドが誕生。
 
今回のブツはマスク2種に CD と
前回同様『腹ペコえこひいきグルメクーポン』が添えられているというもの。
その CD の前半、メインの楽曲は作詞作曲こそマキシマムザ亮君であるものの
歌と演奏は2号店となるようだ。
1曲だけ、最近はバラエティー番組でもよく見かけるドラムのナオとか
マキシマム ザ ホルモン本店のメンバーが参加。
ゲストで BiSH のアイナ・ジ・エンド。
後半は1曲の歌をメンバー全員で一人ずつ歌うというもので、
本店の4人バージョンと2号店の5人バージョンのどちらが当たったのかは
パッケージを開けてみないとわからない。
僕は2号店バージョンだった。(本店の方が欲しかった)
マスクもレギュラー、ハードコア、フェス参戦と3種類から選べることになっている。
商売上手だなあ……
森永のチョコボールみたいに
パッケージの折り返しに金の亮君が出たら1枚で、銀の亮君だと3枚で、
チバユウスケの歌いバージョンの CD が。
……いや全部書いていたらキリがない。
 
1曲にいろんなジャンルの曲が情報量多くミックスされているのは相変わらず。
2号店のメンバーもよくこれが演奏できるな、というのは関心するけど、
歌・演奏はやっぱ本店の方がいいなあ。
『ガチンコ ザ ホルモン』を見てたら思い入れが生まれてやっぱ違うのかな。
マキシマム ザ ホルモンをもっと聞きたい、久しぶりにライヴを見たいと思いが募るばかり。
いや、それが目的か。
一度だけサマソニで見たことがある。
2008年の幕張メッセのステージ。麺カタコッテリを会場皆でやったのは壮観。
この日他に、Perfume や再結成した Sex Pistols を見た。
 
楽しいばかりのマキシマム ザ ホルモンのようでいて、
悩ましいことは多いのだろう。
CDとマスクは黄色に黒の警告を表す契約シールで束ねられていた。
切ったり破ったりした時点で
違法アップロードや金の亮君・銀の亮君の転売を行わないことに同意することなりますと。
今見ると予襲復讐」も『配信・CDレンタル全面禁止作品』とあった。
マキシマムザ亮君は世の中の不合理とも戦っている。
 
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Coil 「musick to play in the dark vol.1」
 
ノイズ、インダストリアルの創始者のひとつ、
Throbbing Gristle の紅一点コージー・ファニー・トウッティによる
自伝『Art Sex Music』は2018年に読んだ本の中では断トツに面白かった。
アートを志しながらも生活のためにヌードモデルの仕事もして、
音楽活動も並行して行ううちにメンバーも定まって Throbbing Gristle へ。
目くるめく混乱の日々を過ごす。
解散後、大まかに言えば Psychic TV などで活動したジェネシス・P・オリッジ、
夫婦となったクリス・カーターとコージー・ファニー・トウッティによる Chris & Cosey、
Coil を結成したピーター・クリストファーソンに分裂する。
かつてはカリスマ性の高いヴォーカル、
ジェネシス・P・オリッジにばかり注目が行っていたが、
音楽的な主導権は残りの3人にあった。
少なくとも残りの3人の間では民主的なやりとりがなされていた。
しかしジェネシス・P・オリッジのわがままが全てをぶち壊してきた。
そういう内容だった。
 
第4の男。ビートルズで言えば、リンゴ・スターと思っていた。
ピーター・クリストファーソンや Coil についてはそれまでよく知らなかった。
Pink Floyd のジャケットなどを手掛けたデザイン集団『ヒプノシス』のメンバーだった
ということぐらい。
Coil はPsychic TVの初期メンバーでもあった
ピーター・クリストファーソンとジョン・バランスを中心としたユニット。
ジョン・バランスを飲酒による事故で亡くして、
失意のうちにあったピーター・クリストファーソンはタイに移住。
といった経緯は『Art Sex Music』にも書かれていた。
2010年、ピーター・クリストファーソンもまた亡くなってしまう。
 
昨年、ふとしたことをきっかけに「Heartworms」など何枚か入手して聞いてみた。
ここ数年で再発が進んでるんですよね。
それでも入手困難な状況は変わらず。
この「musick to play in the dark vol.1」も昨年末、
リマスタリングされて再発される予定だったのが、予定日を過ぎても一向に発売されず。
ごく少数の限定盤で日本に来る枚数が少なかったのかもしれない。
彼らの代表作のひとつ。1999年の作品。
僕が今回手に入れたのは2006年に再発されたもののようだ。
これだって今なかなか難しいもののはずが、
ひょっこり amazon で3,000円弱で入手することができた。
昨年末の再発を当て込んで売りに出したのかもしれない。
 
聞いてみる。
彼らのアルバムはまだ数枚しか知らないけど、
確かにこのアルバムは彼らの代表作と言っていいかもしれない。
作品としての完成度、存在感が抜きんでている。
彼ら独特の孤独感、寂寥感がかなり色濃く感じられる。
ジョン・バランスのヴォーカルをエディットして不穏なシンセを加える。
ピアノやパーカッションといった生音も多い。
隙間が多く、ひんやりとした静謐が音の向こうに広がる。
幽玄というよりもロマンティックという方がしっくりくるか。
幻影の中にしか存在しない相手と共に、湖を前にした古城で過ごす一夜とでも言うか。
ゴシックホラーから安っぽい恐怖感を取り除いて、得体の知れなさだけが残された音。
 
Throbbing Gristle がノイズミュージックのバンドとして圧倒的だったのは、
意図のないノイズの垂れ流しには決してならず、
ひとつひとつの音に意味や意思を込めていたからだと思う。
Coil もまた自らその姿勢を継承した。
ノイズミュージックから始まって、ここまで美しい音楽に到達できるものなのか。
海外のミュージシャンの間では評価が高いというのもよくわかった。