2021/04/13: ヤフオク!
The Smashing Pumpkins 「Earphoria」 \180
2021/04/14: www.amazon.co.jp
The Velvet Underground 「Live at Max's Kansas City (Deluxe Edition)」 \2500
2021/04/15: diskunion.net
ピンク・レディー 「サマー・ファイア '77」 \3251
篠田昌已 「東京チンドン vol.1」 \3050
Paul & Linda McCartney 「Ram Deluxe Edition」 \3450
(V.A. ON-U Sound) 「Pay It All Back vol.2」 \680
2021/04/15: www.amazon.co.jp
Ultravox 「Ha!-Ha!-Ha!」 \399
2021/04/16: diskunion.net
大沢誉志幸 「Confusion」 \1500
Lou Reed 「Live In Italy」 \4050
The Waterboys 「The Best of The Waterboys '81-'90」 \480
2021/04/17: diskunion.net
Miami Sound Machine 「Eyes Of Innocence」 \3650
Gloria Estefan & Miami Sound Machine 「Let It Loose」 \4650
2021/04/17: www.amazon.co.jp
コンポステラ 「歩く人」 \2782
The Waterboys 「Fisherman's Blues Collectors Edition」 \2302
Ana Moura 「Desfado-Reedicao」 \1800
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ピンク・レディー 「サマー・ファイア '77」
数年前のあるとき、ピンク・レディーを改めてちゃんと聞いてみたくなった。
しかし、新宿のタワレコでベストバルバムを見てみると
2枚組で30曲ぐらい入ったのばかりで。
いえ、そんなにたくさんいらないんだけど……
かえって敷居が高い。
”ペッパー警部”とか”UFO”とか代表曲が10曲ばかり入っただけの
入門編みたいなベストアルバムってないもんか。
演歌もそうなんですよね。
これを僕は『ピンク・レディー問題』と呼んできた。
(CD買わずに Spotify で聞けよ、って話ですが)
そんなわけで僕はピンク・レディーが活動中に発表したのはシングルだけ、
それを目いっぱい集めたベストアルバムがあるだけ、と思い込んでいた。
調べてみたら全然違った。
スタジオアルバムも出しているし、ライヴアルバムはもっとあった。
「チャレンジ・コンサート」(1977/03/31 芝郵便貯金ホール)
「サマー・ファイア '77」(1977/07/26 田園コロシアム)
「バイ・バイ・カーニバル」(1977/12/27 日本武道館)
「'78 ジャンピング・サマー・カーニバル」(1978/07/23 後楽園球場)
「ライブ・イン・武道館」 (1978/12/25 日本武道館)
「さよならピンク・レディー」(1981/03/31 後楽園球場)
1977年、1978年だけで3作ずつライヴアルバムを収録していた。
大規模なコンサートを行うたびに録音していたんじゃないか。
こんなアーティスト、日本だけじゃなく海外を見ても他に知らない。
”ペッパー警部”のデビューが1976年。
人気が爆発してコンサート会場がどんどん大きくなっていく。
その破竹の勢いがそのままパッケージングされている。
ちょっとどれか聞いてみたいな、と思うものの
紙ジャケで2006年に再発されて以来それっきりのようだ。
amazon ではどれも5,000円~10,000円ぐらいの価格になっている。
もう15年経つし、また再発すればいいのに。
なんで出し惜しみするんだろうな。
懐メロ世代にしか響かず、意外と売れないんだろうか。
DiskUnion で網を張っていたら
ライヴアルバムとしては2作目に当たる
「サマー・ファイア '77」を入手することができた。
”ウォンテッド”の前。一番上り調子の頃。
しかもこのライヴアルバムのみ2枚組。
実際のコンサートに近い雰囲気が味わえるんじゃないか。
しかし、デビューから1年も経っていないのに2枚分も何を歌うのだろう?
曲目を見てみたら、なんと。大半が洋楽のカバーであった。
”Hotel California”や”Johnny Be Good”といったロック
”Dancing Queen”や”Love Potion No.9”といったポップ
”Stop In The Name Of Love”や”Please Mr. Postman”といったモータウンのソウル
しかも、ほとんどの曲が日本語に訳された歌詞で歌われる。
洋楽のヒット曲をカバーして日本でもヒットさせるというのがひとつのスタイルであった
60年代、70年代の名残であろうか。
どちらも1976年の曲。取り入れるのが早いですよね。
それまでのヒット曲が全部挟まる。
牛乳石鹸とナショナルのCMメドレーなんてのも入っている。小芝居付きで。
聞いてみる。
ピンク・レディーの存在感と、客席からの最大限の歓声。
ビートルズの「Live At Hollywood Bowl」を思い出した。
ピンク・レディーは前年デビューとは思えないほどの堂々としたステージ運び。
曲の合間のトークも軽快。
今聞いてもこれ十分通用するようなライヴアルバムじゃないか。
当時の日本を切り取った記録としても貴重だと思う。
演奏は手練れのベース、ドラムが前面に出てブラスセクションも厚い。
きちんとしている。
だけどこの時代のアルバムによくあるように
誰が演奏しているのか、クレジットは皆無。
そういう時代なんだよなあ。
世代ゆえに、どうしても映像として思い出してしまうのは
『8時だヨ! 全員集合』で歌っていた姿。
前半のドリフターズのコントの後。
花びらをループさせたような背景に、フルのバンドがついて。
その前で歌い踊る二人。
幼稚園の頃に見ていたので、とても強烈なインパクトが残っている。
80年代初めまでは活動していたけど、
その全盛期は3年ぐらいでしかないんですよね。
燃え尽きてしまったんだろうな。
それもよくわかるような、全力投球のライヴアルバムだった。
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篠田昌已 「東京チンドン vol.1」
新曲 ”虹色のファンファーレ” のCDを買って、別冊 ele-king の特集も読んだ。
音楽的支柱がギターのOTOとなるが、
それら中心に対する周縁として
じゃがたらの多様性を体現し、存在感の領土を広げていたのが、
ダンサーの南流石であったり、サックスの篠田昌巳であった。
もちろん、この二人が周縁の代表なのではなく、JAGATARAに関わった人皆がそうだが。
梅津和時らによるフリージャズのビッグバンド、
生活向上委員会(略して、せいこうい)で演奏を開始。
工藤冬里の Maher Shalal Hash Baz と共演したかと思えばチンドン楽団に入ったり、
ハイナー・ゲッベルスやクリス・カトラーによる即興を主体とした前衛的なユニット
Cassiber の来日公演にもゲスト参加していたりと幅広い草の根的な活動を続けて
1992年、34歳の若さで急死。
(「Live in Tokyo 1992」は Cassiber の最後のアルバムとなるが、
1作目と並ぶ名作だと僕は思う。
篠田昌已の亡くなる1か月前の演奏だという。
国賠盤の2枚目は大友良英の Ground-Zero がリミックスを行っている)
篠田昌已が死の直前に残したアルバムのひとつが
「東京チンドン vol.1」 だと知って、聞いてみたくなった。
僕が入手したのはリマスターの再発盤となるが、これもなかなか入手が難しかった。
vol.1 ということは第二弾も本当は考えていたのだろう。
実際、ブックレットの冒頭にて彼自身がそのことについて書いていた。
篠田昌已が入社した長谷川宣伝社と高田宣伝社の楽師たちによる演奏。
サックスやクラリネットの管楽器が3人と、
上下に鉦と太鼓の並んだチンドンや大太鼓のゴロスという打楽器が3人という編成。
街で見かけるチンドン屋には時々三味線が加わっていることもあるけど、
ここでは加わっていない。
おそらくその方がより正統的な編成なのだと思う。
1枚目はスタジオ録音で2枚目は実際に街角を練り歩いた時のフィールド録音となる。
演奏するのは昭和流行歌の”君恋し”や”さざんかの宿”、
元は軍楽マーチと思われる”青島マーチ”、
ある年代層ならば皆が知っている、口ずさむことのできる歌ということになるか。
2枚目の最後にパチンコ屋の開店口上が聞こえてきたりする。
なんか耳に残る声だなあと思いながら解説を読むと江戸アケミが飛び入り参加したとあった。
なんだかとても懐かしい音。
記憶の底、身体の底にあるものに語り掛けてくる。
普段演奏するその通りに録音している。
アレンジしてロックのリズムを加えようとかそんな余計な色気は持たない。
今となっては貴重な記録になったと思う。
探せば、全国のいろんな宣伝社のCDが出ている。
効果音や日本の音風景的な位置づけのものもあるだろう。
しかしここまでストイックに作品に徹したアルバムはないのでは。
それにしても。
言葉であれ音楽であれ、時代や地域によってどんどん変わっていくもの。
チンドン楽団の音楽のようにある時代の楽器の編成や演奏スタイル、メロディーが
そのままに保たれ続けるのは稀なケースのでは。
どうしてチンドン屋の音楽はそのようなことになったのか。
時代錯誤感で人目を引こうとしたのか。
民俗学的な研究もあるのではないかと思う。
ブックレットの最後にて篠田昌已は
チンドンとの出会いを通じて得られた、
音楽とは何かということについてとても深いことを語っていた。
ここに引用するという野暮なことはせず、皆さんどこかで出会って読んでほしいと思う。
ブックレットにはチンドンの歴史的な写真もいっぱいです。
長谷川宣伝社・高田宣伝社の解説も勉強になった。
こんな素晴らしいものを残して亡くなってしまうなんて……
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大沢誉志幸 「Confusion」
一年早く生まれたか遅く生まれたか。
その地域のテレビ局ではどんな番組をやっていたか。
そんな些細なことで小さいときに出会うアーティストが変わってしまう。
ベスト10やトップ10を見始めた頃、僕も C-C-B 以外の何かを聞こう、
カセットテープを買おう、としたときにレベッカとTM NETWORK とで悩んだ。
これが TM NETWORK になっていたら
その後の僕の人生は大きく変わっていたかもしれない。
僕も二年ほど早く生まれていたら
大沢誉志幸をリアルタイムに聞いていたんじゃないか。
カップヌードルのCMで ”そして僕は途方に暮れる” は知っていた。
子供心に強く焼き付いたかっこいい曲だったけど、
落ち着いた切なさがあって、大人の聞くものと思ってしまった。
10年ぐらい前か。
「CUP NOODLE CM SONGS COLLECTION」というアルバムを見つけて、
これだよこれ! と。
大沢誉志幸 ”そして僕は途方に暮れる”
HOUND DOG ”ff(フォルティシモ)”
鈴木雅之 ”ガラス越しに消えた夏”
遊佐未森 ”地図をください”
CHAGE and ASKA ”太陽と埃の中で”
など。痒いところに手が届く、なんとも素晴らしいセレクション。
80年代後半から90年代初めに当たるか。
僕が一番テレビを見ていた頃のCMで流れていた曲なので懐かしいし、
このアーティストなら絶対この1曲という究極のところを集めている。
(そもそも、日清のCMは『Hungry?』など広告業界の評価も高い)
遠出するドライブの時には欠かせなかった。
差し掛かるたびに ”そして僕は途方に暮れる” が
いかに名曲かを妻と喧々諤々議論することになる。
よく聞くとバックの演奏の隙間が多く、面白いつくりをしている。
シンセがパーカッションのように短い音を連ねて、
あとはリズムを足して、効果音程度に少し上物がかぶさるだけ。
歌詞もあの頃一世を風靡した銀色夏生なんですよね。
アルバムとしてはどうだったんだろう、と思って
2013年にソニーから Blu-Spec CD2 で再発された
「Confusion」を中古で買ってみた。
驚いたことに、ベースがトニー・レヴィンでギターがエイドリアン・ブリューだった。
80年代「Discipline」期の King Crimson の! 米国組の二人。
さすがにロバート・フリップ、ビル・ブラッフォードの英国組は参加していないが。
(ちなみにエイドリアン・ブリューは象とか動物の鳴き声を
ギターで再現する人ということで80年代のCMに出ていたことがある)
ジャケットを見ると録音とミックス、マスタリングがニューヨークのスタジオだった。
他のメンバーもニューヨークの凄腕たちなんだろうな。
マスタリングのエンジニアはなんとグレッグ・カルビ。
よく見たらコンピューターのプログラミングに松武秀樹。
サックスに Tower Of Power のレニ―・ピケット。
何と豪華なんだろう。今だからこそそのありがたみがわかる。
中学生の頃には絶対わからない。
いや、そういったクレジットに関係なく音の良しあしだけで聞いただろうから、
そちらの方がよいか。
オリジナルは1984年。
当時の言い方だと最先端のデジタルな音、ということになるか。
醒めていて、かっちりして、クリアな音。
ミュージシャンたちはバックに徹して自己主張しない。
正直僕は、何回聞いても ”そして僕は途方に暮れる” 以外はかすんでしまう……