先週買ったCD #28:2021/04/19-2021/04/25

2021/04/20: diskunion.net
Black Boboi 「Agate」 \980
 
2021/04/20: ヤフオク
Maher Shalal Hash Baz 「マヘル国立気分」 \2750
Maher Shalal Hash Baz 「1986.2.23 国立公民館 B1 ホール」 \2200
 
2021/04/22: ヤフオク
浅川マキ 「スキャンダル 京大西部講堂 1982」 \2675
 
2021/04/22: www.amazon.co.jp
Deficit Des Annees Anterieures 「Pourriture Cubique 」 \2015
 
2021/04/23: diskunion.net
フェイ・ウォン 「Anxiety」 \2250
 
2021/04/23: TowerRecords 新宿店
Melody Gardot 「Sunset in the Blue Deluxe Edition」 \3080
Lana Del Rey 「Chemtrails over the Country Club」 \2750
Tal Farlow 「The Interpretations of Tal Farlow」 \1980
Tal Farlow 「The Swinging Guitar of Tal Farlow」 \1980
Tom Petty 「Finding Wildflowers (Alternative Versions)」 \2690
 
---
Maher Shalal Hash Baz 「マヘル国立気分」
 
先週、篠田昌已 「東京チンドン vol.1」について書いた。
この2枚組の記録が余りにも素晴らしく、
続けてコンポステラ 「歩く人」を取り寄せた。
サックスが2本とチューバ。一部にギターとドラム。
日本的な薄暗い、薄明るい抒情性を湛えた
美しくも不穏なジャズだった。
いや、ジャズ以前の、プリミティヴな音楽だった。
魂を鳴らす、吹き鳴らすとはこういうことか。
 
ブックレットを眺めていたら
「91.4.4 国立 篠田昌已宅」というモノクロの写真があった。
木造平屋建ての古い家で窓から篠田昌已が上半身を出して煙草を吸っている。
そうか、国立に住んでいたのか。
 
僕も大学時代6年間のうち、4年間を国立に住んでいた。
2年間を駅南口、富士見通りの端から多摩蘭坂に入ったところの寮で。
次の2年間は北口の中央線沿いのアパートで。
(後者は住所としては国分寺市となった)
妻も学生時代近くに住んでいたので、国立は詳しい。
今もよく妻の運転する車で訪れる。
あの頃のようにロージナに入って、
時間があれば大学通りを谷保の方まで散歩する。
この前は白十字のケーキを買って帰った。
 
高校三年の冬。
二次試験を終えて、周りの受験生たちに混じって駅まで歩く。
解放感と不安感でいっぱいな中、ふと見ると DiskUnion という看板が。
何とはなしに入ってみると狭い店は棚がギュウギュウに押し込まれて、
そこにびっしり、ありとあらゆるジャンルの中古CDが詰め込まれていた。
青森では名前しか聞いたことのないバンドの数々にクラクラした。
何を買うか迷って、
Laibach 「Opus Dei」と Gang of Four のベスト盤を買った。
以来、僕の東京生活は今に至るまで DiskUnion と共にある。
国立の店は今はもうないけれども。
羽振りのいいときには中古センターと AudioUnion と3店舗構えていた。
 
受験は93年の3月。その時には既に亡くなられているが、
実は2年の誤差を挟んだニアミスだった。
篠田昌已はどこに住んでいたんだろう。
そう思って調べてみるが、よくわからず。
 
その代わりに出てきたのが、
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ「マヘル国立気分」だった。
1984年の下北沢:キッド・アイラック・ホールと
1985年の西荻窪:watts でのライヴを録音したもの。
2004年に発売されている。
あの頃は国立の DiskUnion でも平積みされていたように思う。
でも買うことはなかった。
マヘル・シャラル・ハシュ・バズの他のアルバムは持っていたのに。
僕が住んでいた国立と、このタイトルにあった国立とが
重ならなかったのだろう。
 
マヘル・シャラル・ハシュ・バズは工藤冬里を中心としたグループ。
メンバーはその時々の気分で、仲間たちと、という感じか。
1980年年代半ばに結成して今も活動は続いていて、
かなりの数の作品がインディーズで残されている。
ジム・オルークと共演したり、
アメリカではキャルビン・ジョンソンのKレコードからもアルバムが出ている。
日本の地下水脈の結節点のひとつがこのグループということになるか。
 
同じく、「1986.2.23 国立公民館 B1 ホール」を見つける。
こちらは昨年、2020年に発売されている。
その名の通りで、公民館とはどこのことだったのだろう。
Google マップを見ると旭通りの、西友の先にあるようだ。
学生だと全然接点はなかったな。あったっけ? と首を傾げてしまう。
 
共にヤフオクで、ほぼ定価で購入した。
どちらも工藤冬里による当時を回想した文章が添えられている。
引用します。
『子供が生まれそうになったのでぶどう園を出て
 東1-のアパートに間借りして土方に出た』
『散歩は大学通り東側の一橋構内、学食は西側、
 練習は富士見通りのエアガレージだった』
『徹夜明けの北口の白十字不二家で篠田や卯多や中崎、キワメさんなどを想定して
「腰砕けの犬」のような大きなスコアをかくのが日課となった』
(以上、「マヘル国立気分」より)
 
『ライブは自分で企画しようとすると、
 国立公民館以外にはできそうなところはなかったので
 大抵はそこの地下音楽室でやっていた。
 貸してくれそうな「常磐会」という名前にして申し込んでいた』
『国立の北口から恋ヶ窪の方に上がった台地にほら貝のスタッフが始めた、
 当時は珍しいピザのテイクアウトもできるハイカラな店が出来て』
(以上、「1986.2.23 国立公民館 B1 ホール」より)
 
「ぶどう園」の名は、忌野清志郎に関する本を読んだときに知った。
住宅地の中に広い農園があって、その中に古びたアパートの群れがあって、
そこで若者たちがコミューンのように生活していたと。
いろんな人がいろんな思い出をネットに綴っているのを読むと
当時住んでいた中には遠藤ミチロウ小玉和文もいたようだ。
 
これまでの人生で近づいたり遠ざかったりしてきた
「マヘル国立気分」をようやく聞いた。
曲のタイトルに
一橋大学構内の朝の歌”
”街角のカレッジ”
とあったりする。他、
”過去の、知られていない幸福”
”何年か前、広尾の天現寺交差点を車で通り過ぎた時に浮かんだ唄”
”嘘の風土記はうす青い 女給の休息は苦い水飴”
と、饒舌であるが、小難しい理屈はその音楽にはなくむしろ天真爛漫。
 
カセット録音なのかとても音が悪い。
でもそれがむしろしっくりくる。
弦楽器も打楽器も管楽器も全てダンゴになって
同じような薄い質感の影絵のような音。
小さい頃に8ミリで撮影した家族の情景を数十年ぶりに発見して
映写機で見るときのような。
しかしそこにあるのは音楽がこの世に生まれる瞬間の連続というか。
しかも同時に色あせ、朽ち果てていくというような。
そんな郷愁の記憶。
 
楽しくてどこか悲しい、学芸会のような音。
前半は混沌に満ちた、だけど無垢な歌。
後半はそこに篠田昌已のサックスが加わって
演奏に一体感が生まれ、猥雑な生命力を増す。
 
あれからどれだけの年月が流れただろう。
僕は国立の町を歩いた記憶を思い出しながら聞いた。
うだるような夏の暑さの中、大学の裏をあてもなく歩いた夕暮れ。
飲み会の後、騒ぎながら駅前まで歩いた夜。
徹夜で映画の撮影をして、眠くなりながらアパートまで歩いた朝。
国立という町を知らなくても、代わりに
あなたの記憶のどこか奥底に眠っていた町を思い出させてくれるだろう。
 
サニーデイ・サービス曽我部恵一が好きなライヴアルバムに
Chara 「live 97-99 mood」らと並んで
この「マヘル国立気分」を挙げていた。
 
---
Deficit Des Annees Anterieures 「Pourriture Cubique 」
 
先日、Graeme Revell 「The Insect Musicians / Necropolis, Amphibians & Reptiles」
について書いた。
80年代に一時代を築いたノイズ・インダストリアルのユニット
SPKグレーム・レヴェルのソロアルバム2枚を組み合わせて再発されたCDとなる。
1枚は昆虫の鳴き声や羽音をフィールドレコーディングした音源を
組み合わせて楽曲としたもの。
もう1枚はアウトサイダー・アートの代表者の一人、
アドルフ・ヴォルフィの残した作品にインスパイアされたもの。
 
後者は元々、3組のグループが提供した曲を集めたものだった。
グレーム・レヴェルと Nurse With Wound
そして D.D.A.A. (Deficit Des Annees Anterieures)
グレーム・レヴェルのパートが素晴らしかったし、
Nurse With Wound は代表作を一通り買い揃え、
アドルフ・ヴォルフィは画集も持っている。
残る D.D.A.A. が気になった。
それまで全然聞いたことのない名前だった。
 
Deficit Des Annees Anterieures とは『前年度赤字』とのこと。
1970年代末に結成し、今も活動を続けている実験音楽集団。
2008年に代表作のいくつかがリマスターされて再発されたが、
それらも含めて今は入手がなかなか難しいようだ。
数量限定のCD-Rでライヴ音源を発売とか。
先日最初に購入した 「Action And Japanese Demonstration」の再発も
そのスジに強い専門店のネット通販でようやく見つけることができた。
 
DiskUnion の解説では
Nurse With Wound / Tuxedomoon / フレッド・フリス /  ロバート・ワイアット /
LAFMS / Pere Ubu / キャプテン・ビーフハートらの名前が挙げられていたが、
僕からすると Faust (特に「Tapes」や「IV」の頃の) / Negativland /
Holy Modal Rounders / Chrome といった辺りだろうか。
 
「Action And Japanese Demonstration」は1982年の作品。
タイトルにあるように日本、恐らく架空の日本がテーマとなっている。
どこからどう見つけたのか、昭和初期か戦後に録音されたと思われる
宴会で謳われるような〇〇節みたいなのが脈絡なくサンプリングされていたりで
アウトサイダー・アート版のフレッド・フリス「Step Across the Border」のような。
正直、さほど面白くはなかった。
 
次に手に入れることができたのが今回の「Pourriture Cubique」で、
2012年発表と割と最近のもの。
Pink FloydAtom Heart Mother」が元ネタだろう、
新聞や製品パッケージのコラージュで草原に立つ牛と青空を描いている。
こちらは最初の音を聞いた瞬間から、おお!と唸ってしまった。
 
古今東西のありとあらゆる音楽をミキサーにかけて再構築する。
それがまとまりのない音の垂れ流しとはならず
高いテンションを保ったまま強烈な違和感、ポップな緊張感を残す。
様々な音を細かく振動させたパルスが響き渡り、
奇矯にして素朴なメロディが重なっていく。
強いて言えば諧謔のための諧謔
その点では Negativland が一番近いんじゃないか。
最後の曲は脅迫的な揺らぎを持った低音の響くバックトラックに
どこの言葉かわからない読経が乗っかる。
ブックレットを見てみたら『レ・ミゼラブル』のヴィクトル・ユーゴーの詩を
朗読していることになっていた。
 
小さい頃青森市の美術館で見た『サロン・ド・メ』の絵、というか図録を思い出した。
父の働いていた新聞社が全国で巡回展を行っていて、
父がその担当となったと聞いた覚えがある。
第二次大戦末期、フランスのレジスタンス運動が起点となった前衛芸術運動。
ピカソやミロの作品も交えつつ、多くはフランスの中堅どころの作品を集めたもの。
どの絵画も鮮やかな色彩を持ちつつ、抽象的で、実験的で、謎めいている。
はっきりとわかる事物を描いたものもポツンと孤立したものばかり。
四次元の裂け目から気まぐれに現れたかのような。
意味不明過ぎて人によってはとても気持ち悪かったであろう。
僕にとってもトラウマになるぐらいのインパクトがあった。
でもこれが僕の美的センスの根っこにあるのだろう。
そこのところが共鳴してしまった。
 
万人には薦められない音楽。
でもこれが感覚的にわかるという人がいたら、
その人とは深くつながることができると思う。
 
---
Lana Del Rey 「Chemtrails over the Country Club」
 
前作「Norman Fucking Rockwell!」がグラミー賞の最優秀アルバムの候補となった、
ラナ・デル・レイの最新作。3月に出たばかり。
自らを『ギャングスタナンシー・シナトラ』と名乗り、
そのジャンルを「ハリウッド・サッドコア」と呼ぶ。
成功しなかったハリウッド女優の幽霊に導かれるがままに
霧のかかった湖で溺れて沈み込むような。
 
デビュー曲”Videogames”が秀逸過ぎた。
狂おしいほどにかきたてられる、未知のものへのノスタルジア
一発で僕もノックアウトされた。
自身が監督したというビデオクリップも斬新だった。
来日公演があるというので絶対見てみたいと思うがチケットが取れず。
Twitterを通じて知り合った高校生の子に譲ってもらえることになったが、
その公演は中止。
その後半年またすぐ来日公演の話が出たが、再度中止。
”Videogames”の大ヒットで急に忙しくなって、
スケジュールを立て直したいという理由だった。
実際には歌が下手で……、という噂も流れた。
 
”Videogames”こそ稀代の名曲だったものの、
ファーストアルバム「Born To Die」がピンとこなかった。
その後のアルバムもそう。なんか普通だなあと。
ヒップホップに接近して全米No.1となった時期もあったけど。
 
起死回生の一打になったのが、
2019年の「Norman Fucking Rockwell!」
ようやく僕も彼女の求めていた音楽がわかった。
一過性のポップスターではなく、もっともっと深いものだった。
アメリカ文学の源流へと一人きり手漕ぎ船で遡っていくような。
ああ、あの寂寥感は、幻想的でどこかグロテスクな雰囲気が
うっすらとヴェールのようにかかっているのは
エドガー・アラン・ポーだったんじゃないか。
ラナ・デル・レイの幽玄は、懐古趣味は、
単なる雰囲気ではなく相当肝が据わったものだった。
 
実際、昨年2020年には
「Violet Bent Backwards Over The Grass」という
ポエトリー・リーディングのアルバムを発表し、同名の詩集を刊行している。
今後、音楽活動は休止して詩作に専念するという噂もどこかで見た。
 
「Norman Fucking Rockwell!」と
「Chemtrails over the Country Club」ではジャンルとしてはアメリカーナか。
カントリーやフォークといったアメリカのルーツ音楽、その最新系へ。
邦題を訳すとカントリークラブに渦巻く陰謀論といった感じ。
田舎のセレブな集まりを支配する、奇妙な噂話というニュアンスだと思う。
ノマドランド』や『スリー・ビルボード』が普通の風景となった、アメリカ。
何の変哲もない郊外の町で、それまで普通の人だと思われていた殺人鬼が
何の理由もなく周りの普通の人々を殺す、そのスローモーションの映像とか。
テレビを見て育って現実と区別のつかなくなった女の子が
過去の映画を寄せ集めてつくった妄想の中に生きているとか。
そんな架空のアメリカを僕は思い浮かべた。
(歌詞でそんなことを歌っているわけではないですが)
 
この人の頭の中に広がっている妄想のランドスケープは今、
とんでもないことになってるんじゃないかと思った。
ボブ・ディランの頭のなか』という映画があったが、
僕が見てみたいのは『ラナ・デル・レイの頭のなか』