猛暑の記憶

猛暑、酷暑というと今年はそうでもないのだろうか。
これまでの最高気温は東京都の場合、35℃か36℃ぐらいか。
全国的にも40℃を超える日はまだなかったと思う。
 
僕が上京した1993年は記録的な冷夏で
なんだ、東京もこんなもんかと快適な夏を送っていた。
しかしその次の年が記録的な猛暑で国内各地で水不足となった。
僕はその年、大学2年生で1カ月の短期留学生として
モスクワに滞在していた。
オマエほんといいときに日本を出てたよ、とよく言われた。
 
梅雨明けしたある日、そのモスクワ行きのため
生まれて初めてパスポートをつくることになった。
当時小平市の寮に住んでいて、立川市にパスポートセンターがあった。
途中の国立市までは大学のキャンパスがあったので
サークル活動やバイトでよく移動していた。
そんなとき、電車に乗って行くなんてことはしない。
必ず自転車だった。
高校時代は片道1時間ぐらいかけて自転車通学していた。
近場は漕いでいくのが当たり前だった。
立川は国立から一駅先なので、他の選択肢を考えるまでもなかった。
それまでにも2回か3回は暇なときに行ってみたことがあった。
 
休みの日、土曜だったと思う。昼過ぎか、自転車に乗って寮を出た。
国立までは勝手知ったるいつもの道。
西武線の恋ヶ窪の辺りを一本道で国立へ行くことができる。
30分もかからないだろう。
暑いなあと思うぐらいだった。
そのまま同じ道をずっと行けばいい。
 
それが国立駅まで来てその先に進み始めたところで急に気が遠くなってきた。
帽子をかぶるという習慣のない僕は炎天下、汗だくになってペダルを漕いでいた。
額から流れる汗が首筋を伝って腹の方にまでダラダラ流れてくる。
ぐっしょりと濡れたTシャツが気持ち悪い。
肩にかけた鞄が揺れるのが何よりも邪魔。とにかく重い。
まだ半分も来ていないのだろうか……
漕いでも漕いでも先に進まない。
そのうちに坂道に出る。
下りだからまだいいようなものの、その分、突き刺すような日差しを全身に浴びた。
あのときほど太陽を白く感じたことはない。
 
それでもなんとか立川に辿り着いて
エアコンのガンガンにきいた屋内に入って一息つくことができた。
書類をその場で書くか持ち帰るかしたと思う。
金のない僕は自販機で水かコーラを飲んでまた帰り道に着いた。
そしてまた坂道に出る。
上に書いたのは果たして行きときか帰るときか、正直思い出せず。
何にしても国立から先、恋ヶ窪までが上り坂なので
そこでは確実に地獄のような思いをした。
毎日の足なので自転車を置いて帰って後日取りに来るということもできない。
自転車で来た以上、自転車で帰らないといけない。
 
フラフラになって帰ってきて、途中からの記憶がない。
真っ先に寮の水風呂を浴びた。
 
そもそも寮の部屋にはエアコンなんてものもなく、扇風機だけ。
よく生きてたな、と思う。
夜は酒を飲んで騒ぐ以外になかった。
 
何もこんな日に書くことではないが、
人生最高に暑いと思った日のことについて。