パラリンピック開会式

昨晩、パラリンピックの開会式を見た。
オリンピックの時もそうだったけど、
各国の選手団が入場する場面のほんわかとした緊張感がいい。
 
いくつかの国の選手は戦争や内戦によって手足を失っていた。
実況中継のアナウンサーが言う。
この入場行進を見て、平和の大切さを思いますと。
月並みな感想だけど、僕もそう思った。
 
開会式全般の印象として、途中までは良かったと思う。
空港、飛行機のイメージで全体の流れを統一する。
それに基づいたダンスや音楽のパフォーマンスがなされる。
しかし、途中で派手なデコトラが現れたところからおかしくなった。
北斗の拳か、マッドマックスか。
コンテナの中に入っていたのは実は布袋寅泰率いるバンドで、
身体にハンディキャップのある方たちがギターやベースを演奏していた。
(一人、とんでもなく独創的な弾き方をしている女の子がとても気になった。
 視覚障害があってどうやって弾いているかわからず、独学で試行錯誤したのだという)
 
デコトラがいけない、品がない、ということではない。
それまでの流れに対してメリハリをつける、対比させるという点では
間違いではないと思う。
とはいえ、出すにしてももっと全体の統一感のある演出があったのではないかと。
突拍子なさ過ぎた。
ゴテゴテしすぎて、前半のファンタジーな雰囲気をぶち壊してしまったように感じた。
ああ、結局オリンピックの開会式のようにとりとめのない寄せ集めの
幕の内弁当だったのか、と落胆した。
 
開会式の演出について、内情は文春に書かれていることぐらいしかわからない。
いろんな人が関わっていて、いろんな人の顔や意見を立てようとすると
こうなってしまうんだろうな。
クリエイターに限らず、広告代理店とか IOC / JOC とかその周辺の政治家とか。
誰か一人世界的に評価の高い演出家が前面に出て全てを背負う。
それのできる人がこの国にはいなくなってしまった。
コロナ禍のこの状況で皆、尻込みしたのだろう。
引き受けてもどんどん辞めていった、辞めさせられた。
しかし、こういうときこそカリスマが出てこないといけない。
そして国民の側もネットでチマチマした批判はせず、全てを託して受け入れないといけない。
皆一丸となって成功させようという意識を持たないといけない。
僕を含めて皆が、他人事だった。
 
政治の世界も、そう。
寄せ集めの中でのパワーゲームに終始してしまう。
それは結局のところ、日本という国全体が疲弊しきっている、ということなのだろう。
 
それはそうと。
オリンピック・パラリンピックを一番やりたがっていたはずの自民党の代表、
菅総理はどうして両方の開会式でずっと、
いつものように苦虫を嚙み潰したような顔をしていたのだろう。
あるいは心ここにあらずか。
どうして世界に向けて笑顔を発信できないのか。
総理ってそういう仕事ではないのか。