『山怪』

この夏は怪談本ばかり読んでいた『新耳袋』のシリーズ全10巻から始まって、
その続編の『九十九怪談』全10巻、『隣之怪』現時点で文庫が4巻をほぼ読みつくして、
他に面白そうなのがないか探しているうちに出会ったのが
『山怪 山人が語る不思議な話』だった。
ヤマケイ文庫から3冊出ている。
作者は長らくマタギの取材をしてきたのだという。
 
帯にはこんなことが書かれている。
『山で働き暮らす人々が実際に遭遇した奇妙な体験。現代版遠野物語
遠野物語か、どうだろう。
そう思って読んだみたら確かに現代の遠野物語だった。
狐に化かされる、人魂が浮遊する、誰もいない山なのに木を切る音がする。
新耳袋』の理屈のつかない、突拍子もない怖さに慣れてしまうと
怪談としての怖さはたいしたことはない。
だけどそこには、素朴な、
「うちのおばあさんが小さい頃に体験した話なんだけどさ……」
という語りの原体験、原風景がある。
 
何よりも印象的だったのは冒頭、そのような語りが今、失われつつあると。
おじいちゃん、おばあちゃんがそういう話をしようにも
昔のように囲炉裏端に皆が集まっているわけではない。
子供たちはゲームに夢中になっているし、
当のおじいちゃん、おばあちゃんが話し相手もなくテレビを見て時間を過ごしている。
かつてのような語りは日本から失われつつある。
その危機感から作者は聞き取りを進めていったのだという。
とても大切なことだと思う。
 
それにしても。
狐に道を惑わされる、狸が人間を真似てリアルな音を出す
というのはよくあったことみたいですね。
もちろん『山怪』で語る人たちの中にも、全ては科学的な理屈がつくという人もいる。
実際どうなのかはわからない。体験した人でないとわからない。
なんにしてもその狐、狸たちもどんどん全国で数が減っているのだろう。
森の奥へ奥へと追いやられていってるのだろう。
多くのものが失われていく。
そんなときにも山や森は静かに息をひそめてそこにある。
 
遠野物語が描いていたのはその息遣いであった。
田畑や野原を含めて、人間が一歩家の外に出た先にある山。
あるいは家の中にも続く山。家を包み込む山。
変わりゆくものと変わらないものとの狭間にある、その息遣い。
『山怪』にもそれがある。
 
2巻を今週末読む。楽しみだ。