九九というもの

9月9日で思い出したが、九九。
(でも今日は「九九の日」とか「九九の記念日」ではないようだ)
 
日本人の計算が早いのは小さい頃に九九を覚えるからだ、
というのを聞いたことがある。
全世界の小学校で教えてるんじゃないんですね。
(え? 赤飯って甘いんじゃないんですか? 
 青森で食べたのは甘かったですけど!? というような驚きがあった)
 
教えている国であっても
日本のような九九ではなく、その国独自の九九があるようだ。
今ちょっと見た限りでは、イギリスでは12×12になるようだし、
シンガポールではお金の計算でよく使う2の段や5の段から覚え始めるとあった。
その国ならではの合理性がある。
日本はまず、気合で全部順番に、機械的に覚えていく。
 
数学は苦手だが、九九は身につけておいてよかったと思う。
というか逆に、今身についてるのは
基本的な足し算・掛け算・引き算・割り算・分数と九九
ぐらいしかないんじゃないか。
あれだけさんざんやったのに二次方程式の解き方は忘れてしまった。
微分積分ってなんだったっけ?
 
九九は学んだ方がいいんですよね。
日々の計算に役立つからというよりも、
頭の中に九九というひとつの思考の枠組みがゆるぎなく根を張るから。
九×九のマス目が論理的思考の礎になるというか。
これがなかったら僕はもっと
ふわっと感覚的で断片的な考え方になっていたんじゃないかと思う。
 
先日の InterFM『Lazy Sunday』で、ジョージさんがこんなことを言っていた。
アメリカの学校では数学の試験で電卓を使ってもよかった。
なぜなら、その答えに至ったプロセスが大事だから。
最後の具体的な計算のところに至る、その前段を重視しているから。
なるほどなあと思った。
 
できれば、プロセス+九九がいいんだろうなぁ。
高校生以上の高度な計算なら九九がどうこうというレベルではなくて
ほんとに電卓がないと無理だろうけど。