紐の時代

なぜコード、ケーブルの類は絡まるのか。
在宅勤務の机の周りが無数のコードで収拾がつかなくなっている。
Wi-Fi ルータから伸びた LANケーブル。
ノートPCから伸びた電源ケーブル
打ち合わせ用のヘッドセットからノートPCに挿したケーブル。
数えていくときりがない。
今、目の前に黒に白に青に10本以上はある。
イヤホンのコードもくしゃくしゃと丸まっている。
 
ほっとくといつの間にか絡まっている。
何もしてないはずなのに。
そういう妖精でもいるんじゃないかと思う。
絡まないコードを発明した人がいたら
ぴたりと治る風邪薬を開発した人同様、ノーベル賞ものだ。
 
言うまでもなくこれが機械、コンピュータ社会の象徴だ。
それまでは電気に代表される動力であれ、情報であれ、
人間がモノからモノへと手で運ぶしかなかった。
モノとモノとの間に引っ張った紐のようなが重要だなんて、
200年前300年前の人間には想像もつかないだろう。
 
若い頃、データセンターのラックに詰められた
サーバ群の裏側を見たときはすごかった。
様々な色の無数のケーブルが穴という穴に差し込まれ、
スパゲティのようになったのを束ねている。
それが床から天井までギッシリ。
本当にこれ一本も挿し間違いがないのか? と不思議だった。
 
それがまた徐々にコードレスとなっていく。
黒の固定電話が携帯電話になったのは大きい。
iPhone のイヤホンが AirPods になったのは大きい。
マキタの掃除機がコードレスになったのは大きい。
 
20世紀を総括するとコード、ケーブルの時代だと思う。
異星人や遠い未来の世界の人間が
早回しで人類の歴史を眺めるとき、
何だあの百年は? 紐だらけの時代だな、と首を傾げるんじゃないか。