駄菓子屋というもの

ライフに買い物に行ったら、魚介系の総菜コーナーに
魚のすり身を薄くて小さなカツにしたのを詰めたパックが売られていた。
懐かしいな、これが一枚だけ入ったのをカツと称して
駄菓子屋でよく30円ぐらいでよく見たな、と思い出す。
思わず1パック買ってしまった。
今晩の酒の魚にしよう。
 
僕らが子供の頃、80年代前半までは駄菓子屋があちこちにあった。
青森市の北の外れの住宅街にも何軒かあった。
それが遠くの高校に自転車で通うようになり、
上京して就職してといううちにいつのまにか見かけなくなった。
 
僕らが小さい頃既にして
腰の曲がったおばあさんの営むのんびりした店が多かったから
亡くなられると同時に店を閉めたか。
いや、ただ単に大人になるにつれて
そこにはあっても視界に入らなくなったのか。
 
チロルチョコやマルカワのフルーツガム、酢だこさん太郎
といったいわゆる駄菓子を買うことはほとんどなくて
当り付きのくじばかり引いていたように思う。
例えばウルトラマンのだと当りが出ると怪獣の写真をプリントした
丸い缶バッチをもらうことができた。
外れると何ももらえない。
それも1回10円だったか、50円だったか。
メルカリを見ると当時の残りのくじの箱がよく出品されているようだ。
 
家から少し歩いたところの家が建て替えて新しくなって、
空いている部屋があったのか、ある時改造して駄菓子屋を始めた。
商品を仕入れて売るも新しい。
綺麗な白い壁。なんか雰囲気が出なかった。
当時の駄菓子屋と言えば今にも古びた小屋に改築を重ねたような
今にも倒れそうな、灰色と茶色の入り混じったような暗い色ばかりだった。
 
その店はまだ若いお母さんが店番に立つことが多かったが、
買い物に出かけるのか
時々代わりに小さな坊やが奥の家から出てくることがあった。
僕よりも小さくて小学校の低学年か。
よくわかってないのが明らかだったから、そこの箱出してと言って
僕はくじを引かずに当たりの方を5個か10個かつかんで
お金を50円か100円かまとめて払った。
僕はその缶バッチがどうしてもほしかった。
こんなのを当てたと周りの子に自慢したかった。
 
あれは悪いことをした。
坊やも後でかなり怒られたことだろう。
店も数か月しないうちに畳んでしまって、二度と開くことはなかった。
その前を通るたびになんかちょっと申し訳ない気持ちになった。
そんなズルをしたのは僕だけではなくて大勢いたんだろうけど。
 
あのときの坊やの純粋無垢なキョトンとした顔は今も思い出す。
もう40にはなっているだろう。どこで何をやっているのか。
今謝られてもまたキョトンとしてしまうだろう。