サブスクというもの

昨日の昼、在宅勤務の妻と昼を食べる。
サブスクについて調べていたようで、
「subscrition って元々は新聞の定期購読って意味なんだって」
という話になった。
 
ほう、と思いつつ、あくまで起源の話なので今とは意味合いが違ってるんだなと。
ここ数年「サブスク」で言われているものには
モノを所有することではなく、モノを利用する権利への支払いというニュアンスがある。
一定の額を支払えば一定量のモノを利用することができる。その権利。
新聞の定期購読はただの前払いであって、契約者には実際に新聞というものが家に届く。
それを返却する必要はない。
 
「サブスク的なものは昔からあったんだよね」
「例えば?」
 
引っ越してその地域の図書館の入館証を作成すると、その図書館の本を借りることができる。
無制限ではなく、1回15冊までなどと上限が決まっている。
こういうのって無料化されたサブスクではないだろうか?
無料だからと言って窓口を通さずに勝手に持って行くことはできない。
 
もっと言うと、小作人が収穫した作物の中から一年に一度、
定量を年貢として地主に納める。
また来年もその土地を耕すことができる。
小作人は自由に土地を選べるわけではなくほぼ隷属的に縛り付けられているとはいえ、
こういうのもサブスクのルーツのひとつではないだろうか?
 
あるいは飲み屋でツケで支払うというのは?
信用のやりとりにより、その店に入って酒が飲めるというのは?
前払いではなく、かなり後になってからの後払い。
 
「なんか違うと思う」
「そうかな」
 
なんにしても、話していてひとつ思い至ったことがあった。
商品AやサービスBの価格が
(交渉の結果やその時置かれた状況によって上下することがあるとはいえ)
一定に決まっていて、
それに対して金銭を支払う、ないしは支払うと約束することで
商品AやサービスBが引き渡しがなされるという契約行為がメインだったのは
19世紀に産業革命が本格化して20世紀に資本主義が発達してからの
ほんの一時期に過ぎなかったのでは?
 
もちろん貨幣経済というのはそのもっと昔からあったが、
貨幣と物との交換はずっと以前から行われていたが、
多様なやりとりのうちのひとつに過ぎなかったのでは。
 
サブスクが流行るというのは、
資本主義より前のの混沌とした多様さへの回帰なのではないか。
資本主義の時代は混沌よりもルールを重んじた。
ネット社会の流通する情報量の圧倒的な多さがルールと混沌の両立を可能にした。
……ということなのだと思う。
 
「よくわかんない」
「だよね」