『作家・庄野潤三展 日常という特別』

昨日、石神井公園のふるさと文化館で開催されている
『作家・庄野潤三展 日常という特別』を見てきた。
 
庄野潤三は妻の持っていた講談社文芸文庫の『絵合わせ』を読んだことがあった。
郊外の小高い丘の上にある「山の上の家」に住む
夫婦、長女、長男、次男の五人家族のなんて事のない日常風景を描く。
夜の食事の後でトランプをやった、絵合わせは五人で行うのがよい、
一人少ないと難しくなるし、一人多いと簡単になる、
だけど長女が近々結婚して家を出るので五人そろってのトランプもできなくなる。
でも、時々は顔を出すからそのときはトランプができるじゃないか。
例えば、そんな話。
 
事件らしい事件も起きないまま、ただ朗らかな掌編が淡々と続く。
なのに飽きることなく一冊すぐ読み通してしまった。
私小説なのだろう。しかし佐伯一麦のような蠢くドラマツルギーのようなものはない。
なのに空虚というのでもない。濃密というのも違う。
不思議な軽みがそこにはあった。
表面上のストーリーや表現形式には表れない、誰よりも充足したもの。
 
ふるさと文化館は何度か訪れたことがあるが……
二階はこんなに立派だっただろうか?
以前、妻の友人夫妻と来た時にはわずかばかりのイベントスペースがあって
紙相撲をつくろうというワークショップに参加した。
今は企画展と常設展の展示室がふたつに、小さいながらも図書スペースがある。
 
その企画展のスペースもそんなに大きくはない。
庄野潤三の生涯を辿り、その魅力を伝えるにはこれぐらいのほうがむしろホッとするかもしれない。
学生時代を経て招集、終戦、大阪の朝日放送に職を得、
童謡「さっちゃん」で知られる阪田寛夫と机を並べ、
小説を書くうちに評価を高め小説で身を立てようと上京。石神井公園近くに住む。
プールサイド小景」で芥川賞を受賞、オハイオ州の大学に一年留学。
帰国後静かなところでに住みたいと川崎市の生田に終の棲家を建てる。
そこで過ごす家族との穏やかな日々。
残された写真、手書きの原稿、娘の日記(!)、
何よりも企画者に寄る丁寧な解説の文章で綴られてゆく。
そして、「山の上の家」の屋内や庭で撮影した映像。
ああ、この人は素晴らしい人生を送ったのだなということが伝わってきた。
 
家の生活のあれこれに面白いものがあった。
庄野潤三の残した、チビて使えなくなった鉛筆の詰まった鉢。
どれもほぼ同じ青い鉛筆で固さは3Bだった。
家族で百人一首大会を開いた時の大真面目に書かれた賞状。
最晩年の写真は親族が集まっていて、
正月恒例のくじ引き大会の賞品をそれぞれ抱えている。
箱に入った何やら豪華なものを掲げた女の子もいれば、
トイレットペーパーらしきものを仕方なくもっているおじさんもいる。
そうか、と僕は思った。
何気ない日常を描くには何気ない日常を送るだけではなく、
その日常を周りの家族と楽しむことが大事なんだな。
 
常設展も覗く。練馬の歴史や文化。
よくありがちな出土した土器に始まって
軒先に干した無数の大根の模型と巨大な漬物樽。
昭和の商店街の風景や家の中。
学習机には鉛筆削り、横の棚にオセロなど。
中華料理屋の店先にてカレーライス70円、天津丼90円。
別なコーナーにはアニメの撮影機。
そういえば、ふるさと文化館の近くのJAの施設には
大根に代わって練馬野菜の代表となったキャベツを称した石碑が立っていた。
 
一番面白かったのは「山の上の家」の模型かな。
屋根のところで切り取ってパカッと開いたのを上から見落とした。
妻と「玄関どこかな」「あの右上の」「左のじゃない?」「そこ机あるよ」
などと言いながら見る。
井伏鱒二邸を設計した方に依頼したのだという。