『津島家の人びと』

この休みに『津島家の人びと』という本を読み始めた。
数年前、神保町の古書店街の祭りで
ちくま学芸文庫の絶版本のワゴンセールがあってそこで見つけたもの。
 
太宰治の一族。
よく知られているように故郷、金木では有力な地主に生まれた。
最初の章は先祖たちということで
家を興し、商売を始めて金貸しとして羽振りがよくなってくる、
貧農の田畑を巻き上げて金木でますます勢力を広げる
というところが描かれるが、江戸末期から明治にかけてのこと。
何代も同じ名前が続いてよくわからなくなってくる。
改名もよくある。何代も前の人にあやかって名を改めるとか。
そこのところを乗り越え、
修治(太宰治)と文治(太宰治の長兄)の代になってくると
がぜん面白くなってきた。
この津島文治は戦後の青森県知事も務めている。
 
戦後、土地というか米を取り上げられ津島家は没落。
先祖の建てた大きな屋敷も失う(後の斜陽館へ)。
共産主義に近づき女性関係の問題も起こす弟修治は義絶したのちに
東京で小説家として名を上げていくようになる。
しかし、東京で心中自殺。
津島文治はわずかに残った財産で政治活動を続ける。
いわゆる「津軽選挙」に苦労する。
県知事を退いたのちに衆議院議員参議院議員
修治の娘婿、津島雄二を後継者とするも寂しい晩年を過ごして亡くなる。
一気に読んでしまった。
 
あとがきを読んで知ったんだけど、
朝日新聞の青森版に昭和55年頃連載とあった。
青森支局の記者の方たちが書いたものだった。
だとすると絶対、父と面識があったはずであって。
むつ市に住んでいた時に青森県全域なのかもっと限られた区域なのか
新聞社の支局の記者、その家族が集まる運動会がむつ市青森市の郊外で開催された。
あの日、父と挨拶していた方たちかもしれない。
父と一緒に原子力船むつが帰港した際に車で取材に向かったのかもしれない。
その時の事故で助けてくれて、父の葬儀にも来てくれた方たちなのかもしれない。
 
津島文治・修治をよく知る人に話を聞いている。
その多くがまだ羽振りがよかったころの金木の津島家のお屋敷で
若い頃に下男や女中として働いていた、今はかなりの年配となったたち。
もちろん『津軽』のタケも小泊で存命だった。
今となってはとても貴重な記録だと思う。
こういう本を絶版にしてしまうのは惜しい。