茅ケ崎の開高健記念館へ

妻が開高健の住んでいた家二軒が
今、記念館になっていて公開されている、見に行きたいという。
杉並区の井荻に一軒、晩年に住んだ茅ケ崎に一軒。
井荻なら散歩しても行ける距離。
しかし天気がよく春の陽気の日。茅ケ崎の方に行ってみるか、となる。
 
10時過ぎに家を出る。
ナビは笹目通りから環八に入って
玉川ICで第三京浜に乗って横浜新道で戸塚まで行くルートが一番早いという。
しかし井荻のトンネルから渋滞で。全然進まない。
ようやく高速に乗っても港北を過ぎたあたりからまた渋滞。下りても渋滞。
藤沢・湘南エリアに入って昼を食べたくても
混む道路に戻るのも嫌だなあ、渋滞が終わってから落ち着いて食べたいなあと思っていたら
結局茅ケ崎の記念館に着いてしまった。
結局3時間ぐらいかかったであろうか。
なんでこんなに道が混むのだろう。
鎌倉近辺に移住した人が僕の身の回りにも何人かいて、とても住みやすい、
引っ越してよかったと皆口をそろえて言う。
こんなに渋滞だらけで何がいいのだろう? と思う。
 
記念館に入る。
こじんまりとした落ち着いた一軒家。
リビングや書斎を見ることができる。そこに直筆の原稿など。
この書斎がすごい。入り口に鹿の角。自ら仕留めたものだろう。
おそらく当時最新鋭のステレオ。ウィスキーの樽。
執筆を行う広い机は足元が掘りごたつになっていてなんとも書きやすそうだった。
海外で釣ったのだろう、魚の剥製もいくつか壁に。
これぞ男の城。憧れる。
 
開高健と同じ時期に従軍取材でベトナムに行った
カメラマン秋元啓一と過ごした日々にフォーカスを当て、
秋元啓一が撮影したベトナム戦争の写真の企画展が行われていた。
彼らは200名の軍に随行したが敵の襲撃に逢い、
生き残った17人のうちの2人だった。
 
受付のところで現在入手できる本が並んでいる。
文庫を買うとこの記念館独自のブックカバーがもらえるという。
それが3種類あったので僕も3冊買った。
『小説家のメニュー』(中公文庫)
『知的な痴的な教養講座』(集英社文庫
『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫山口瞳との共著)
 
記念館のおばちゃんに近くで食べることのできる場所を聞くと
近くのゴルフ場のレストランがいいという。
駐車場に車を停めたまま、歩いていく。
クラブハウスの2階。風通しいい居心地のよい場所だった。
海鮮のアヒージョ、しらすのペペロンチーノ、ちがそば(牛筋の入った焼きそば)を頼む。
どれもおいしかった。地元の素材を使う。
アヒージョも焼きそばも醤油麴が味のベースになっていた。
 
周りはゴルフを回ってきた人たちが半分、近所から散歩に来たという人たちが半分か。
テラス席からゴルフコースを見下ろす。
ゴルフ場というものに初めて来た。
最初のコースに出る人たちが何組か並んで待っている。
そうか、普通の人たちが普通に回るときはキャディさんがつくわけがなく、
自分でゴルフクラブのセットを乗せたキャリーカートを引っ張るのだな。
 
ゴルフ場を出て大通りを渡る。海岸に出る。
小さな犬を連れた人が多い。
ラックを取り付けて自転車の横にサーフボードを抱えて海に向かう、海から帰る若者たち。
浜辺に出る。
向こうに江の島、烏帽子岩
妻が犬を連れた年配の方と話す。引退して悠々自適の暮らしを送っているとのことだった。
 
砂浜を離れて記念館に戻る。
そういえばこの海に面した大通りは箱根駅伝でランナーが走るところだったな。
来る途中に遊行寺の坂もあった。
記念館のある通りの名はラチエン通り
サザンにも「ラチエン通りのシスター」って曲があったな。
よく見るとほとんどの家の外にシャワー。
サーフィンをする人が多く住むのだろう。
 
どの家も大きさ新しさに関係なくゆったりした雰囲気があって。
リゾートマンションも建っている。
来る途中は渋滞ばかりでこんなとこ住めるか!
って妻に言ってばかりだったのが、
住宅街に入ってみるとコロッと印象が変わった。
サーフィンはやらないけど、確かにここは住みたい。
 
帰りはすぐ高速に乗ってさほそ渋滞に巻き込まれることもなく。
それでも2時間ぐらいはかかったか。
光が丘に戻ってきてやまやでウィスキーを買う。
開高健にあやかってウィスキーを飲みながら買ってきた本を読もうと思う。