先週買ったCD #78:2022/04/04-2022/04/10

2022/04/05: www.amazon.co.jp
Laibach 「Occupied Europe NATO Tour 1994-95」 \3248
 
2022/04/05: tower.jp
Ministry 「Live Necronomicon」 (\2421)
タワレコのポイントで
 
2022/04/08: diskunion.net
Billy Joel 「Strom Front」 \780
Moby Jam 「Wow / Grape Jam」 \2550
 
2022/04/10: diskunion.net
Sheena & The Rokkets 「爆音ミックス ~19 Lives~」 \1300
TOTO 「The Seventh One」 \2650
 
2022/04/10: メルカリ
Wiseblood 「Dirtdish」 \5800
 
---
Laibach 「Occupied Europe NATO Tour 1994-95」
 
Laibach は1980年、旧ユーゴのスロヴェニアの首都リュブリャナの近くの工業都市で結成された。
(奇しくもユーゴスラヴィア統一の父、チトーの亡くなった年となる)
80年代は『NSK(新スロヴェニア芸術)』という前衛芸術団体の音楽部門を受け持つ形で活動を行う。
NSK の活動は既成の権威に対する異議申し立てという意味合いがあったのだと思う。
しかしそれがユーゴスラヴィアに対してなのか、スロヴェニアなのか、
国連に代表されるこの世界の枠組みに対してなのかは僕にはうまく説明できない。
複雑に絡み合い、緊張をはらみ、やがて90年代初めの旧ユーゴの内戦と分離独立を迎える。
スロヴェニアも独立を果たした。
Laibach はその間も継続して活動を続け、今に至る。
 
音楽部門という性質ゆえか、固定したメンバーを持つバンドという形態を恐らくとっていなかった。
中心的なメンバーとそれをサポートするその時々の演奏集団の緩やかな集合体。
一時はその中心的なメンバーの名前すら公開されていなかった。
『Laibach』とは、リュブリャナをドイツ語で呼んだものであって、
それはつまり第二次大戦中、ナチススロヴェニアを占領していたときの呼称ということになる。
メンバーもコンサートではナチスを思わせる軍服を着て演奏を行った。
そのアートワークもプロパガンダを思わせるものだった。
もちろん彼らはナチスの信奉者ではない。
パロディ、つまり、大衆を煽情したく戯画的に取り入れたのであろう。
しかし、それは様々な誤解を生む異なり、当然のことながら政府は国内の活動を禁止する。
そうすると彼らは積極的に国外、主にEC圏に出た。
MUTE レーベルと契約してアルバムも発表した。
 
初期の楽曲、主に国内で活動していた時期はインダストリアル・ノイズ+気狂いオペラという風情で、
他にはない絶対的なオリジナリティを持っていた。
(80年代半ばまでのスタジオ、ライヴ音源
 「Slovenska Akropola」「Neu Konservatiw」「M.B. December 21, 1984」辺りがお勧め)
それは恐らく旧ユーゴ内戦へと突き進んでいく緊張に満ちた国内の状況を反映したものなのであろう。
確立した音楽的様式をもって国外に<侵略><占領>するようになると、
欧米圏の著名なナンバーを彼らの流儀で翻訳した楽曲を戦略的に発表した。
「Opus Dei」(1987)では Queen の”One Vision” を”Geburt einer Nation” としてカバー。
続けて1988年にはストーンズの ”Sympathy For The Devil” のシングル。
そして同年、ビートルズの「Let It Be」をカバーしたアルバムで ひとつの頂点に。
インダストリアル・ノイズ、気狂いオペラ、そしてドイツ民謡が混然一体となって
別次元へと突き抜けてしまったビートルズ
それはこの世界に対する異議申し立て、異化作用を行うための素材、手段としてのビートルズであった。
僕は今でも このアルバムがビートルズをカバーしたアルバムの中で最高峰だと思う。
凡百のビートルズいいよねカバーアルバムが、何とも生ぬるいものに感じられる。
 
僕も最初はこの「Let It Be」から入った。
「Opus Dei」や「Let Ie Be」その後の数枚は国内盤も出ていた。
90年代半ばの rockin'on で松村雄策がこのアルバムのことを褒めていて気になった。
(3月亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします)
どれだけ聞いたことか。
表題曲の ”Let It Be” はカバーされていないんですよね。
そのことについて国内盤の解説を書かれていた方が、
彼らにとってユーゴ情勢が一触即発の時期に、そのままに、でいいわけがないと記していて
そうだよなと。その一本筋の通った辺りも魅力的だった。
 
その後の彼らはダンスビートに接近。
ハウスやテクノを取り入れた 「Kapital」(1992)は今聞くとなかなかいいです。
オリジナル中心で匿名的な曲が多いですが、実験性はここがもしかしたらピーク。
その後、戦争をテーマにした楽曲をカバーした「NATO」(1994)で再度話題に。
ホルストの”火星”
Europe ”Final Countdown”
Pink Floyd ”Dogs of War”
Status Quo ”In The Army Now”
DAF ”Alle gegen alle” など。
 
今回取り上げる 「Occupied Europe NATO Tour 1994-95」は
その「NATO」の時期のツアーのライヴアルバム。
前半は「NATO」の楽曲から、後半は主に「Opus Dei」から。
ヨーロッパを占領ということになってるけど
その10年前にも 「Occupied Europe Tour 1985」というライヴアルバムを彼らは出している。
 
ビデオテープとCDのボックスセットという形式の限定盤で入手はなかなか難しい。
amazon で中古在庫なしがずっと続いて、久しぶりに検索したら安く出ていた。
しかし、ようやく届いたビデオテープをビデオデッキに入れたら再生できず。
家のビデオデッキに電源を入れるのが5年ぶりで壊れてしまったか、
ビデオテープ自身の問題か。
Youtube でその前半部分を見ることができた。
というか、ラックを再確認したら DVD化されているのを僕は持っていた。忘れてた。
なんか見覚えあるなと思いながら見てたのはそういうわけか……
 
『Let It Be』のジャケットではビートルズに倣って4人のメンバーの肖像画が配置されている。
この4人が主要メンバーということか。
そのうち、右上の禿頭、髭で陸軍元帥のような風貌の人物が
今も活動を続けているヴォーカルのミラン・フラスとなる。
残り3人のうち、左下の銀髪の青年が恐らくリーダーのイヴァン。
残り2人の名前は不明。
 
他のライヴ映像も含めて判断するに、
この94年、95年のツアーでの彼らのパートは恐らくベースとヴォーカルのミラン・フラス、
その両横でスネアドラム、トランペットを担当するパフォーマー2人。
ドラムと左利きのギターは若そうなのでサポートメンバーか。
オーケストレーションや女性コーラスなどはテープかもしれない。
だみ声でがなるミラン・フラスは独裁者が演説するかのように振る舞い、
その横でパフォーマー2人が時には敬礼をするかのようにキビキビと体を張る。
バックの演奏はドラム主体の肉体性の強いロック。
(彼らのことが分かっているならば)身も心も煽情的で盛り上がらないわけがない。
CDのライヴアルバムも聞きどころは多いが、これは機会があれば映像で見てほしい。
 
その後の彼らは1996年の「Jesus Christ Superstar」にてスラッシュギターを導入。
どこかの時点でミラン・フラスとイヴァン以外のメンバーは総とっかえして
女性ヴォーカルも入れて若返りを図ったり、
月の裏側にナチスの残党が生きていたという内容の
SF映画アイアン・スカイ』のサントラを手掛けたりと
なんだかんだと演奏活動を続け、コンスタントにアルバムを発表している。
一番の話題は2015年、西欧のロックバンドでは初めて北朝鮮でコンサートを行ったことだろう。
その時の模様はドキュメンタリー映画にもなって翌年日本でも公開された。
北朝鮮をロックした日 ライバッハ・デイ』
 
空港に着いて早々データの入ったディスクを没収され、
コンサートホールの技術者たちも機材も1950年代のままで話がかみ合わず、
(しかもコンセントが一か所のみで間違えて抜いてしまうと全部が消えてしまう)
バックに映し出そうとした映像は検察官により公演2日前に差し替えを求められ、
当時の北朝鮮での最新のヒット曲「行こう白頭山へ」をカバーしようとしたらイメージが違うとダメ出し。
さすがの Laibach も北朝鮮に呑まれっぱなし。
あの Laibach の存在感をもってしても、というところが面白かった。
音楽的な感動というところでは薄いけれども、貴重な記録だと思う。
 
---
Wiseblood 「Dirtdish」
 
ジム・フィータスはメルボルンに生まれ、1978年にイギリスに渡って音楽活動を開始する。
Einsturzende Neubauten や Swans らと並んでジャンク、インダストリアルという領域を開拓する。
内に秘めた暴力、孤独、狂気を溜めに溜め込んで一気に暴発させたハイテンションなサウンド
Ministry や Nine Inch Nails といった後続に大きな影響を与えた。
Scraping Foetus Off The Wheel / Foetus Interruptus /
Foetus In Excelsis Corruptus / Foetus Inc など
様々な(恐らく思い付きの)名義で
80年代に(EInsturzende Neubauten を出していた)
Some Bizzare といった複数のレーベルで作品を発表。
近年は本名 JG サーウェルで
映画音楽などロックのフィールドを越えて活動することの方が多くなった。
 
Foetus 名義のアルバムは「Hole」「Nail」「Thaw」というようにいつも英単語ひとつ。
僕がよく聞いたのは「Male」という1990年の2枚組ライヴアルバム。
機械があれば ”Hot Horse” や ”I'll Meet You Poland, Baby” を是非聞いてほしい。
ここまでテンションの高いライヴアルバムは他にない。
Swans のギタリスト、ノーマン・ウェストバーグら猛者を従えて
強靭にして破壊力の高い演奏を聞かせる。
(音質が良くないのが残念でリミックス、リマスターの再発が待たれる。
 この時期の音が顧みられることはもはやないのだろうが……
 しかしそれを補って余りあるぐらいに素晴らしい演奏だ)
 
この「Male」の曲目が主に彼の80年代の代表作「Hole」「Thaw」からで、
その他知らない曲もいくつかあった。
これまで特に気に留めてなかったんだけど、
”Someone Drowned In My Pool””Stumbo” ”Death Rape 2000” の3曲は
Swans の初期メンバーだったロリ・モシマンとのユニット
Wiseblood のアルバムに収録されていると知って興味を持つ。
しかし、今は入手困難。amazon でもヤフオクでも1万越え。
それがメルカリでは送料込みで5,800円。
うーむ、もしかしたら妥当な金額かもしれないと買うことにした。
 
ロリ・モシマンはジャンク・ノイズの分野から出てくるも
後にプロデューサーとして多くの作品を手掛けるようになる。
エッヂを立てた音を作るのがうまいんですよね。
スイス出身というつながりでスイスのインダストリアルバンド、The Young Gods であるとか。
The The の「Mind Bomb」も一部そうか。
日本だと Friction 「Replicant Walk」「Zone Tripper」が有名かな。
 
Wiseblood はこの二人に
ルー・リードのバンドでギターを弾いていたロバート・クワインらが参加。
(彼は The Velvet Underground のライヴを個人的にテープで録音した
 コレクションを持っていて、それを後に発売したことでも知られる)
 
ジム・フィータスの80年代の作品は一人スタジオにこもって多重録音したのだという。
頭の中の混沌を吐き出すかのような。
それがライヴでは先述のようにアンダーグラウンド界の強者たちを集めて
ムキムキにビルドアップした肉体を誇示するかのように具現化する。
 
(ちなみに「Male」の裏ジャケットには
 日本のなんかの漫画から取られた、ボディビルダーの立ち姿。
 日本語で『全米で空前の大ヒット!!筋肉、パワーのつき方がケタ違い!!』とある。
 彼は日本への造詣が深いようで、80年代の他のアルバムもだいたい日本語が。
 「Rife」の裏ジャケットにはプロレスの写真で
 『責めに賭けた情熱 可能性を見せたドス・』(ここで切れている)
 「Thaw」では『手にしたその日から、誰にだって、
 プロ感覚でシンセが弾けるようになる画期的なシンセ講座ができたんだ!!』
 こういうサブカル感もまた彼の音楽性の大事な部分を担っている)
 
その間にあって、同じぐらい<強い音>へのこだわりを持った
ロリ・モシマンとタッグを組むというのは当時かなり期待されたのではないかと思う。
……が、実際にアルバムを聞いてみるとそうでもない。
どす黒い油まみれの超合金ロボが真夜中の地下都市を
壁に激突しながら轟音を立てて激走、みたいなのを想像していたら肩透かし。
あまり曲がよくないな。ダラダラして曲の骨格が練られてないというか。
音作りを先行して空回ったのかもしれない。
 
彼らの唯一のアルバム「Dirtdish」は1987年の作品。
僕が今回入手したのは再発盤なのか、以前の
12インチシングルから3曲追加収録されている。
”Motorslug”
”Stumbo (12" Version)”
”Death Rape 2000”
これらが圧倒的に良い。飛び道具的な仕掛けが多く、疾走感がある。
試しに二人でやってみたら出会い頭の衝撃でいい曲が生まれて、シングルとして発表。
その流れでアルバムを作ってみたら違和感が出てきた、
まとまらなくなったということなのではないか。
結果2作目には至らず。
 
しかしこれが失敗に終わったかというとそうではないと思う。
ジム・フィータスが自らの音を広げるにはどうしたらいいか、
その方法論が得られたのではないか。
それがメジャーのコロンビアに移籍して1995年に発表した「Gash」に
集大成として現れる。
ウォール・オブ・ビッグサウンドが決壊して音の大洪水へ。
Wiseblood 「Dirtdish」 は大いなる試金石であった。