昨日のその後。
夜、母の見たいテレビがあって早めに風呂を沸かす。
16時過ぎには入ったか。
風呂に入る前は暑かったからと缶ビールを飲んで
出てからはグラスに氷を入れて缶のハイボール。
18時過ぎには夜ご飯。
引き続き、カレーライス。
昼に母に頼まれて買ってきた一口カツをトッピング。
健康上の理由で母があれこれ口が合わなくなった中でもこれは食べられるのだという。
こころ旅の総集編(2018年、滋賀)を見た後は部屋で本を読んで過ごす。
フナキトキコ 『ALLO: ALLO』
『顔ハメ百景 青森【最果てワンダー編】』
北彰介編『復刻改訂版 青森県の怪談』
ハイボールの続きを飲みながら。
日中は暑かったのが夜はグッと冷え込む。
怪談を読んでるうちに怖くなって布団の中へ。
22時過ぎには寝た。
母はテレビをつけたまま寝ていて、テレビを消した後はラジオをつけたままにしていた。
マンションに一人で住むというのはそういうことか。
6時前に目が覚める。
母がラジオの音を大きくして掃除、洗濯。
布団をたたんで荷物をまとめる。
雑巾で部屋の中を拭く。
Bluetooth のスピーカー、電気スタンド、机と椅子を仕舞う。
7時半、朝食。カレーの最後。
昨日同様、茹で卵、茹でたソーセージを添えたサラダ。
トマト、ブロッコリーも茹でられている。
食べ終えて家中に掃除機をかける。
終わって手持無沙汰になる。
ラジオでは子ども電話科学相談をやっている。
母はリンゴを持っていってほしいという。
カレーを作るときに使ったルーやバターも使うことはないと。
昨日買ったシードルの瓶や本も含めて
全てリュックサックと手提げのカバンに収まったが、
東京にもっていくとなると重い。
段ボールに詰めて宅配便で送ることにした。
近くの酒屋に持って行った。
twitter で昨日のらせん堂で買った本のことを書くと
嬉しいことに店主の方から返信があった。
9時半過ぎ、家を出る。
国道まで歩いてバスに乗る。
何本か青森駅行きをやり過ごして、というか3本続けてきたのを見送って、
西武営業所行きに乗る。新青森駅経由。
古川、石江と懐かしい場所を走る。
TSUTAYA / MEDIA-INN はワークマンに。でもこれはだいぶ前からか。
10時過ぎ、新青森駅に着く。
まだ戻りのピークではないのか、空いている。
田酒が売られているので一本買った。
豊盃の東京では入手しにくいものも並んでいる。
泣く泣く今回は田酒だけとする。
みみたには十和田湖産のワカサギのとばを。
後はいつも通り、嶽きみ天ぷらとむつのコロッケ、海峡するめ。
新幹線の改札に入った後の店で見かけた鶏皮スモークも。
缶ビールと缶のハイボール、ロックアイス。
喜久泉の冷やしたのと。
新幹線に乗る間、ホームで『青森県の怪談』の続きを読んで
乗り込んだ後も引き続き。酒を飲みながら。
鶏皮スモークが想像以上にうまかった。東京で売ってるなら毎週でも食べたい。
臨時列車だったので空いていた。
新青森を出て次は盛岡。その次の仙台まで隣には誰も座らず。
盛岡を出てからも1/4ぐらいの埋まり具合でこれは東京まで行けるかも?
と思うが、仙台で満席に。
帯には「怪談は凶作の悲惨さを裏付ける青森県の裏面史でもあるのだ」とあった。
そうだ。ただただ人魂や幽霊の目撃談があるのではなく、怪異譚があるのではなく、
語らずにはいられない、語り継がずにはいられない出来事があったのだ。
赤子を食べる話、その報いを受ける話、天保の飢饉にまつわる話は辛い。
読み終えて涙が出た。
児童文学を研究していた方がひょんなことから仲間を募り、怪談を集めることになった。
青森市の教員だったという。
昭和47年に初版。
再版したかったが諸般の事情でかなわず。
話を集めた方が亡くなって、編集された方が人生最後の仕事と復刻に向けて頑張ったという。
それがようやく昨年世に出た。
これこそ青森県の歴史。その重要な一部分。後世に語り継ぐべき。
15時半、東京駅に着く。
家には17時前に着いた。
一昨日はまだ寒かったのに今日、東京はかなり暑い。
ペットシッターさんへの伝言で暑かったらエアコン付けっぱなしにしてくださいと書いておいたら
本当に付けっぱなしになっていた。
1階に下りてきたみみたがスリスリ。
猫缶を出しても食べずにスリスリ。
バルコニーを開けると喜んで外に出る。
母に電話。
日が暮れ始めてから涼しくなった。
2泊3日の青森。ほんと、顔を出しただけ。
でも車もない、旧友の誰に会うわけでもない、新町と港に行くだけとなると
これぐらいの方がいいのかもしれない。
その代わりに頻度を上げるのがいい。
コロナ禍次第だけど、今年は初夏と秋と2回は帰りたい。