思考の癖というもの

怒涛の一週間が終わった。
異動後の一カ月は研修続き。
DXコンサルで必要な最小限の知識の習得ということなのに
その高度な内容に一カ月で一年分の学びがあったと
そのスピード感にクラクラしたものだけど
今週から実案件に入って、その一週間にも一年分の学びがあった。
さらに加速した。
ジェットコースターというか、ロデオというか。
振り落とされないために必死だった。
 
昨日はいきなり、顧客打ち合わせにてスピーカー。
これまでのようなシステムエンジニアとしてではなく、あくまでコンサルとして。
なんとか乗り切ったけど、胃の底がひっくり返るようであった。
その資料の準備でここ数日しごかれた。
箸の上げ下げから注意されるような。
 
基幹システムの再構築ないしは最適化に当たってその構想立案を行う。
日々の業務から来る既存システムに対する改善要望について
事前にお客さんのところでアンケートを取ってある。
実に数百人分。かなりの情報量がある。
かなり大きなサイズの excel となる。
あー、じゃあ列を足して分類すればいいのか、と最初は思った。
それまでの仕事がそうだった。
 
しかし違うんですね。
ではその分類の軸がどこから出てくるのか、という話になる。仮に
「チェックリストのプリントアウトをやめたい」
「申請書の紙出力・捺印をなんとかしたい」
とあったとき、
ペーパーレスですねと一足飛びに進んではいけない。
 
・岡村さんの頭の中にあるその変換ロジックをお客さんは共有しているわけではない。
 それを無意識のうちに片付けたり、常識だからとしてはいけない。
 
・そもそもペーパーレスという用語そのものが出てきているわけではない。
 出てきているというのなら、その数を原典となる excel から数えたのか。
 
だとしたらどうするか。
テキストデータの計量分析を行うのがよいのではないか、となった。
 
この頭の中で無意識のうちにやっていること、
思考の癖とでもよぶべきものを洗い落とす、ひたすらそのことを言われ続けた一週間だった。
それがあるから考えるのが早くなる、それを自分なりに積み上げてきた20年だった。
そこを否定するのは自分を否定されるようなもの。
しかしそれはうわっつらのものはどんどん入れ替えられるようにして、
自分は器のようなものになりなさいということなのだと思った。
無駄なものを捨てて身軽になった方が、よほど早くなる。
 
これらの作業を資料化するにしても
「シンプルにやったことを、事実だけを書きなさい」と何度も注意された。
その結果に対してこう評価したとか、このような所感を抱いたとか、
作業に取り掛かったばかりの今の段階、結論の出ていない今の段階では不要だと。
そこにはやはり、無意識のうちに歪めてしまうもののこともあるし、
手っ取り早い結論に飛びついてはいけないということでもある。
目的は何か、そのためのアプローチをどう定義するか、
そのために具体的に何を行うか、行ったか。
それを客観的に示さないと、順を追って明らかにしないと、人は理解できない。
 
学んだことを元に日々試行錯誤。
見習いコンサルの修業時代はまだしばらく続く……