最近のいくつか

先日お会いした方が数年前から、幼稚園のバスのアテンドをしているという。
5歳児まで。それぞれの年齢に特徴がある。
何歳児が最も面白いかと聞くと2歳だと即答される。
言葉を覚え始める、表現するということを覚えたばかりで
何かを発したくて仕方がない。
言葉にならなくても表情や身振り手振り、時には踊りなどの全身的な表現で
一生懸命になって伝えようとする。
それがかわいらしい。
その無我夢中のコミュニケーションが楽しい。
 
3歳を超えると話せるようになって、それはつまり一人の人間になることで、
もっと言うと社会のルールを覚えるということでもあって、
はいはい、ちゃんと並びましょうね、静かにしましょうねと
単なる従う、従わせる関係になってしまう。
 
---
今はDXコンサル見習い。
空いてる時間でDXに関する本を読む。
ペインとゲインで説明する本が今も多いかな。
デジタルの力でユーザーのペイン(困っていること)を取り除き、あるいは最小化し、
何らかの利益をゲイン(獲得)できるようにする。
ECサイトがレジの待ち時間を無くしたとか、持ち帰る手間を無くしたとか。
そこで空いた時間を他のこと、人生を豊かにすることに使えますよと。
 
無くす、減らすの方向性ではなく逆のこともできないか。
デジタルを活用して何かを直接増やす、時間をかけさせることが
かえって利便性を生むとか、生活を豊かにするとか。
以前聞いた話で、アメリカの若者にウケている写真のアプリは
撮影したらすぐ利用可能な画像ファイルが作成されているのではなく
かつてフィルムの頃に現像していたように
翌朝にならないと出来上がらないのだという。
確かゆっくりと少しずつ色合いが増していくんだったか。
そういう不便さがかえって価値を生んでいる。
恐らく、ノスタルジーではない。
急がない、豊かな時間を過ごしている感覚というものを与えているのだろう。
 
---
昨日、葬儀に向かうときに環八。帰りは環七。
特に環八はいつも以上に渋滞していてあちこちで事故。
路肩に二台並んでその前後をパトカーで挟んでいて、事情聴取とか。
救急車も何台も見かけた。
帰り、ルートを変えても事故車にパトカーに救急車。
こんなに見かけるのも珍しい。
違反の切符を取られている人も多かった。
初夏の交通安全運動
月の満ち欠けが関係するのだろうかという話になる。
一昨日は満月だったのか。
 
事故の何が怖いかって、こちらが注意深く運転していても
向こうが事故を起こして巻き込まれることがある、ということ。
この車何回も接触事故起こしてるんだろうな、車体がベコベコだなという車が
前にスッと入ってきたときはぞっとするし、
ちょっと尋常じゃないぐらい騒ぎながら運転している若者の車が
横についている時はおい、ちゃんと前を見ろよ! と言いたくなる。
言った瞬間トラブルに巻き込まれそうだけど。
何にしても環八の高井戸から瀬田までの渋滞なんとかならんか。
下にトンネルを掘るといいのか。
そんな金はどこにもなさそうだけど。
荻窪から瀬田までトンネルをつくるならそこに地下鉄を走らせてほしいとも思う。