『大地の芸術祭』へ(その1)

越後妻有(新潟県十日町市津南町)で
三年に一度開催される『大地の芸術祭』が今年その年で、妻が見に行きたいという。
 
いろんなところでその話を聞いたことがある。
農村が舞台となって、そこに国内外の現代アート作品が展示されている。
田んぼの中に展示されている作品たち。
その範囲はとてつもなく広く、一日はおろか、二日、三日あっても回り切れない。
僕もいつか見てみたいと思っていた。
仕事の切れ目で休みも取りやすいだろうと9月最初の土日に行くことにして、
妻に十日町市の宿も手配してもらった。
 
3日、土曜。
7時に起きて家の中を掃除して片づけをして、ペットシッターさんを迎える準備をする。
洗濯物を室内に干す。
東京は涼しい。雨は降らない。しかし、この日越後妻有は雨だという。
9時半過ぎに家を出た。
練馬ICから鑑江悦道に乗って、一路新潟を目指す。
三芳、高坂、嵐山……
妻が最近読んだ『将棋の子』の話を聞いているだけでいつのまにか埼玉も奥の方まで来ていた。
上里のサービスエリアで休憩して昼を食べることにした。
 
11時過ぎ、フードコートに入る。
上里といえば姫豚、小麦。
妻はラーメンにして僕は豚丼とわらじかつ丼のハーフ&ハーフ。
空いている。
それが、食べ終わる頃急な混雑に。
なんらかの団体旅行なのだろう、20歳手前ぐらいの女の子たちが行列を作っている。
皆、白を基調にしたおとなしい服装をしている。
女子大の一年生のクラス旅行??
妻はなんかの観劇ツアーなんじゃないかという。
見るとそれぞれ仲が良くて前後で話し合ってる、というようでもない。
4月ならまだしも9月ならそれなりに友達もできているだろう。
コロナ禍で今も100%オンライン授業というのではなく、今年からはリアルな授業も増えていると聞く。
そんな賑やかさがない。
それに女子大ならもっと服装が地味な子、派手な子、バリエーションがあるだろう。
なんだったのだろう。
妻の言うように何かの演劇の公演か、アイドルのコンサートか。
しかし、新潟方面で?
逆に新潟から東京に向かうのか。
駐車場には何台かバスが停まっている。
ちょうど停まって若い男の子たちが出てきたバスがあった。
それは都内のある大学のだった。
 
車に戻る。
関越トンネルに入ると。走っても走っても出口に出ない。
調べると11kmあって、日本で2番目に長いトンネルなのだという。
東京湾アクアラインが10kmだからあれよりも長い。
トンネルの中で新潟県に入る。
抜けると越後湯沢。
緑まぶしい山に囲まれ、そのどれもがスキー場。芝生のゲレンデが上から下まで広がっている。
スキー客向けに建てられた色とりどりの、高層階のリゾートホテルがニョキニョキと。
ガーラ湯沢もあった。
 
塩沢石打のSAでもう一度休憩をとる。
サービスエリアとなっていたけどあるのはトイレとセブンイレブンだけ。
こじんまりとしていてフードコートもガソリンスタンドもない。
やはりパーキングエリアとサービスエリアの区別がつかず。
 
関越道を下りる。
スキー場のエリアを抜け、山間ののんびりした集落がいくつか現れる。
豪雪地帯だからだろう、民家の多くが玄関に階段を作って入り口を高くしている。
屋根も極端に傾斜をつけている。
物置やガレージも皆、かまぼこ型というか、ろうそくの火型とでもいうか。
積もった雪が溜まって崩れ落ちるのを防ぐようにしている。
同じように雪がたくさん降る青森ではこのような建物は見かけない。
物置も四角い。屋根の雪下ろしをする前提なのだろう。
そのうちに視界のほとんどが田んぼ、その奥の低い山々となる。
緑また緑、稲が黄金色に育っている。
ああ、この景色を見ただけでも来てよかったなと思う。
 
この日、まずは『大地の芸術祭』の総合案内所的な場所にまずは行ってみようということにしていた。
芸術祭が6つのエリアに分かれているうちの「松代エリア」だという。
『まつだい「農舞台」』という施設がその中心地にあって向かう。
駐車場に停める。
人間サイズのユーモラスなカエルのオブジェが6体。
その反対側にはママチャリを何台も組み合わせた巨大なオブジェ。
階段を上って2階につくられた台の運転席でペダルをこぐとママチャリオブジェが回転する。
ふむ、これが「現代アート」か。
入り口で検温をして、検温済みのリストバンドをもらう。フェスっぽいと思う。
妻が事前購入していたチケットをパスポートに引き換える。
スタンプカード兼いくつかの施設の前売り券、割引券といったところ。
 
建物に入って2階へ。
河口龍夫という方の『「関係 - 黒板の教室」(教育空間)』
小学校なのだろう。
一つの部屋が架空の教室になっていて、そこにある全てのものが黒板的な素材でできている。
並んだ机のひとつひとつが黒板で、訪れた人がチョークで好きに絵や文字を書き込むことができる。
地球儀も日本地図も時計も椅子も、皆、黒板。
深い緑色ののっぺらぼう。そこに何を書き込むのも君たちの自由ということか。
なのに、徹底して全てがそうだというわけではなくて、
昔の机のように机のてっぺんの板を持ち上げると、そこが小さな展示室となっている。
右側の引き出しも引っ張ることができる。
そこは黒板的材質の鋏のセットが並んでいることもあれば
黒板的材質から逃れた空間でもあった。
そのひとつは百人一首や手芸用品が並んでいた。ある生徒の記憶なのだろう。
 
2階の目玉はイリヤエミリア・カバコフの作品たち。
恥ずかしながら僕は知らなかったが、現代アートの巨匠となるようだ。
イリヤ・カバコフの70年代の、旧ソ連時代は作品を製作するも公にはせず、
ごく一部の人にしか見せなかったようだ。いわゆるサミズダート(地下出版)の活動か。
私家製の絵本のようなものが展示されていた。
その自由奔放なイマジネーションは旧ソ連にとって危険なものだっただろう。
アナーキストな危険思想の持主だから、というのではなく、
天使がこの現在にいるならば人間は何を望むべきか、といった難しい問題を扱っているから。
80年代末にエミリア・カバコフとの共同制作になり、
アメリカに移住後はインスタレーションなど活動の幅を広げていったようだ。
旧ソ連で生まれ育った人ならではのシニカルなユーモア感覚と
そこから自由に離れていく発想。
この人には何かあるなとこの『大地の芸術祭』に絡んだ作品集を買った。
 
建物の廊下を進んで下りて行った先に
このイリヤエミリア・カバコフの作品、『棚田』を見るための展示スペースがあった。
棚田に青や黄の人形が配置され、牛を追っていたりする。
その風景に重ねるためのメッセージを日本語で綴った透明のプレートが吊り下げられている。
そのプレートを通して棚田と、人形たちを見ることになる。
この作品を展示することになった時、その棚田の持主に交渉しても拒否されたという。
しかし、イリヤ・カバコフが作品に対する思いをメッセージとして記したとき、
それは受け入れられたのだと。
棚田の持主が一線を退き、亡くられた後も芸術祭の方でその棚田を引き継いでいる。
後に作品のことを調べた妻からそのことを聞いた。