『大地の芸術祭』へ(その3)

土曜の続き。
田んぼの中は蛙が飛び交い、シオカラトンボがふんわりと舞い降りる。
スズメ退治のためなのか猟銃を打つ音が盛んに聞こえる。
 
さらに坂道を下ってだいぶ開けてくる。
空高く伸びた赤いトンボの、『〇△□の塔と赤とんぼ』が目立つ。
この日最も感銘を受けたのは『リバース・シティー』
カメルーン出身のアーティストのようだ。
丸太で組まれた2m四方ぐらいの櫓のようなものから
巨大な色鉛筆が無数に吊り下げられている。
1本は1mかそれ以上あるのではないか。
そこに国の名前が白で書き込まれている。
ニカラグアが赤、スリランカが黄色、セントクリストファー・ネイビスが青。
ロシア連邦ウクライナもあったが、日本は見つけられず。
無着色の、国名のない鉛筆もチラホラ混じっていた。
一見平和の祈りのようでいて、
鉛筆の真下に立って見上げると妻はミサイルが攻めてくるようにも見えたという。
これがアートなんだな、と思う。
明快にして見る者に深く考えさせるコンセプトがある。
比較して日本人アーティストの作品はタイトルも実物もよくわからないものが多かった。
 
イリヤエミリア・カバコフの棚田の前を通って
『農舞台』とは小川一つ隔てた森の中へ。
森の木々を活かしたカラフルな作品がいくつか。
銀色のボディで3種類の弦楽器を模した
『スペース・スリター・オーケストラ』という作品が面白かった。
弦が貼ってあって、押さえて指で弾くと音が出る。
スライドギター用のチューブなんかも添えてあった。
プロのミュージシャンに「演奏」してもらうのもありなんじゃないか。
森の入り口にあった『西洋料理店山猫軒』も、ありがちな内容ながらよかった。
カラフルな色遣いで塗られたドアが10枚ぐらいランダムに立っていて
そのひとつひとつに『注文の多い料理店』の台詞が書かれている。
実際にドアは開けることができる。
次のドア、次のドアと開けていくうちに物語が進んでいく。
 
この時点で16時過ぎ。
足元の悪い中、半日、森や田んぼの中を上ったり下がったりしてさすがに疲れた。
他、このエリアには草間彌生の作品もあって遠くからはその水玉が見えたんだけど、
この日はこれで終わりにする。
松代駅前のコンビニに立ち寄って酒を買って宿に向かう。
農産物直売所や観光案内所も兼ねていて
妻がエチゴビールを何本か買う。
 
宿は松代から少し離れたところにある。田んぼと木々の間を走る。
やがて松之山の温泉郷に出る。
鄙びた、小さな温泉街だった。
 
部屋に案内され、さっそく3階の露天風呂へ。
タイミングよく一人きり。
雨の降る音を聞きながら、目の前の森を見ながら入る露天風呂。
湯加減もよくいくらでも入っていられる。
木を半分に割った半円形の枕に頭を持たせる。これが気持ちよい。
しかし残念ながらこの露天風呂は時間制で夕食の後は明日の朝まで女性専用になるという。
1階の大浴場にも入ってみる。
小さな目の半露天風呂もあった。
寝湯のような形で寝そべることのできる木枠もあった。
 
1階の風呂の脇に、温泉に24時間漬けた卵を入れた発泡スチロールの箱が置いてあった。
これをふたつもらって部屋に戻る。
まずはそれで缶ビール。
ほんのり茶色く色づいた茹で卵は風味があって、どこか塩味がする。
風呂に入っているとき、顔にかかったお湯を舐めるとしょっぱかった。
海水の化石が温泉のもとになっていると解説板に書かれていた。
ここ松之山温泉は日本三大薬湯のひとつ。
 
温泉から戻ってきた妻に茹で卵を食べたかと聞くと、食べた、横にあった日本酒も飲んだという。
え? と思う。
仲居さんは確かに日本酒もアイスキャンディーもあるのでどうぞ、と言っていたが、
有料かと思っていた。
18時までだけどまだ置いてるんじゃないかと言うので行ってみたらちょうど片づけたところだった。残念。
茹で卵だけもらってきた。
温泉卵のサービスって聞くとどこでもありそうで、出会ったのは初めて。
いろいろ気の利いた宿だった。
全館畳敷きでエレベーターの中まで畳。素足で歩いていける。
小さな宿ならあるけど、こんなに大きな宿で素足は初めて。ありがたい。
 
最後にもう一度3階の露天風呂に入りに行く。
雨がまた強くなって土砂降り、雷まで鳴った。
夕食は2階の広間へ。
クロモジの入って色づいた、小さなグラスに入った水が爽やかで心地よい。
里山のごはん。米はもちろん十日町の棚田によるコシヒカリ
海の幸、お造りこそ青森のイカ、北海道のウニとあったものの
山のものはこの付近で採れたものだろう。
鯉こく、みそ田楽、湯治豚。
一つ一つに手間がかかっている。
お品書きの鍋のところを引用してみる。
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夏の棚田鍋《熟成地豚 越の紅》使用
夕顔 筆茄子 コリンキー 木の子
塩の子 神楽南蛮と麹を塩漬け熟成した物
 辛くてしょっぱいですが鍋の薬味に抜群。
火が消えましたら、おこげを割り入れ
 塩の子を混ぜてお召し上がりください。
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新潟の酒を飲む。
「越の初梅 雪中貯蔵酒」
 
食べ終えて、向かいのバーへ。
ここの宿が経営しているようだ。
4月にリニューアルしたばかりで昼間は観光案内所。
店内に小さいながらも窯があって、イタリアンのシェフがピザを焼くという。
さすがにそれを食べる余裕はなく。
前菜の盛り合わせだけ頼んで僕は「黒文字ジンソーダ」を、
妻は「実山椒ウォッカソーダ」を。
どちらもカウンターの上で漬けられていた。
スペインのワインも置いていた。
いい雰囲気の店なのだが、客は僕らの他にもう一組のみ。
土曜の温泉街にはもっと客がいると思うが。
次の金曜にこの温泉街で開催されるジャズのイベントのことや
温泉街の町おこしの難しさのことを聞いた。
 
夜の温泉街を歩く。真っ暗な中、道端で湯気が沸いている。
ひと気がなくしんと静まり返っている。
宿の部屋にはこの温泉街の手作り感あふれるグルメマップや
地元の人がガイドになるハイキングの案内のチラシなど。
がんばっている山奥の温泉街は応援したくなる。
 
部屋に戻って温泉に入り、缶チューハイを飲んでいるうちに眠くなる。
23時前には布団に入った。