大地の芸術祭2回目(その1)

9月頭に行った越後妻有の『大地の芸術祭』があまりにも素晴らしく、
開催は3年に一度、コロナ禍での延期もあった。
行けるときに行っておこうとこの週末、もう一度行くことにした。
 
土曜。7時に起きてあれこれとペットシッターさんの受入準備。
玄関に除菌スプレーやウエットティッシュを置いておく、
いつもは一つの皿に水を入れていたのを二つにする、
天気がいいので窓を開けておきますといったメッセージのプリントアウト。
8時半、妻に頼まれて図書館に本を借りに行く。
光が丘公園では『ロハスフェスタ』というイベントが開催されていた。
帰ってきたころ、妻の方の準備もできている。
10時前に家を出る。
大通りに入ってしばらく行って気づく。
ペットシッターさんの来る日にやっておくことの一つを忘れた。
運転する妻に引き返してもらう。
ついでに妻に頼まれて、『大地の芸術祭』の総合ディレクターである北川フラムの本を探す。
 
この日は快晴。というか30℃近くまで上がることになっている。
だからなのか、遠出したくなるのか、関越道は早々に渋滞。
三芳SAを過ぎた辺りから徐々に雲行きが怪しくなって
高坂SAの後、東松山ICに差し掛かる頃ようやく抜けた。
先月はそんなことなく行きは快調に飛ばしたのに。
 
腹が減った、どこかのPA/SAで食べようとなるが、嵐山までは渋滞が怪しいとその先へ。
寄居PAに入ることにした。
小さなPA(パーキングエリア)で食堂がひとつあるのみ。
しかしここがなかなかおいしかった。
二大人気メニューの一つ、深谷ねぎ醤油ラーメンを妻が、
寄居名物みそだれ豚丼を僕が食べる。
腹が減りすぎていてミニカレーと唐揚げも追加。
番号札代わりのブザーを渡されるとか
出来上がった番号がモニターに表示されるという最新の設備はなく、
おばちゃんが声張り上げて番号を呼ぶのみ。
古き良きパーキングエリアの食堂。
どのメニューも油っぽかったけど、おいしかった。
客の半分は長距離トラックのドライバーか。だったらまずいわけがない。
 
群馬県に入って赤城高原SAや谷川岳PAを通り過ぎ、
関越トンネルを抜けると右も左も越後湯沢のスキー場。
塩沢石打ICで下りて鄙びた田舎の町を行く。
そのうちに『大地の芸術祭』の黄色い案内標識が道端に見えてくる。
大地の芸術祭』の6つのエリアのうち、最も南にある中里エリアに入った。
13時半、かつての小学校の廃校跡の裏、
少し上った高台の草地にあったふたつの作品をまずは見た。
 
この日これを見たいとはっきりしたものはなく、その場の気分で決めることにしていた。
前回と同じ温泉宿に泊まることにしていたのでナビはそこを目的地に。
交差点でふと目に留まった「ミオンなかさと」という温泉施設が気になった。
中里エリアの中心がここのようだ。
ガイドブックを見ると4つの作品が展示されているという。
『鳥たちの家』という巨大なオブジェなどを見た。
 
自然とこの日は中里エリアを攻めることに。
前回の2日目はこのエリアで『Tunnel of Light』(清津峡渓谷トンネル)
ポチョムキン』『カクラ・クルクル・アット・ツマリ』といった作品を見た。
その続きとなる。
「ミオンなかさと」の近くにもいくつか作品がある。
ガイドブックのわかりにくい地図と道端の標識を頼りに
あーでもないこーでもないと引き返したりしながら探す。
途中で同じように車で試行錯誤している人と何度もすれ違ったりする。
町の間を信濃川が流れている。橋を渡る。
 
『遠くと出会う場所』という作品を探す。
山の入り口にある、ひと気のない公園のような場所。
ダムと発電所。その手前にあったのは野球場か。
車を停めて坂道を上っていく。
刈り取られた田んぼ、その向こうの木々。
まだ15時になっていないのに夕暮れのまぶしい日差し。
モニュメントのような作品を見る。
高台の林を歩く。
ダムを建設中に殉職された方たちの慰霊碑があった。
 
近くにもう一つ作品がある。
飯山線越後田沢駅の真ん前にあるという。単線の無人駅。
デイリーヤマザキがあったが、閉店していた。
他に商店や食堂はなかなか見当たらず。
でもそれなりに家があって、大きな病院があって、町をなしている。
ここには中里アリーナという施設があるようだ。
後に見かけた何かの店でこの中里アリーナを市民に無料開放するというポスターを
店主の方がゆっくり時間をかけて丁寧にセロテープでガラスに貼っていた。
 
駅前には『船の家』という建築物があって、
その中に『未来への航海』という船が設置されているはずだった。
これがその建物なんだろうなというのは見つかったが、入り口が開いていないし、
作品を示す標識やスタンプが見当たらない。
ガイドブックを見てみたら公開時期が9月4日までとなっていた。残念。
この日までの作品が結構な割合であった。
 
ちょうど鉄道が入ってきた。一時間に一本とかそれぐらいなのだろうか。
十日市行き。下りる人はなく、乗った人が3人。
かつては車両置き場になっていたのか、ホームの脇に草に覆われた線路が残されていた。
 
この日はここまでとするか、と宿に向かう。
津南エリアの端をかすめて、この地域を襲った土石流のモニュメントを見た。
しかしここも9月4日までだった。