バグった世界

子供のころ以来30数年ぶりに怖い話が読みたくなって
昨年はひたすら、角川ホラー文庫新耳袋』のシリーズとその続編を中古で安く買い漁って
土日、ウィスキーや焼酎をロックで飲みながら一冊ずつ読んでいた。
こんな楽しい時間はなかった。
共著である『新耳袋』シリーズの片割れ木原浩勝の集めた怪談本を含めて30冊近く。
一通り読み終えて夏が終わる。
 
このシリーズを超えるものはないんじゃないか。
でも、読みたい。ムズムズする。
そんな中、8月も終わりになる頃、
新耳袋』のもう一人の片割れ中山市朗による『怪談狩り』や
福澤徹三の一連の怪談本や『忌談』のシリーズを知る。
これらもたまらないですね。(やはり角川ホラー文庫
 
いろいろ印象に残った話がある中で、こんなことを考えていた。
僕は幽霊や心霊現象に興味があるというよりも
理屈では説明がつかないことが好きなのだと思う。
多くの出来事は霊に関わることになるだろう。
残りのうちのいくつかは何かもっと違うことなんじゃないか。
この世の仕組みというかシステムがバグって起こったこと、とでもいうか。
 
昨日読んだ『怪談狩り』の6巻にこんな話があった。要約します。
ユウコという女性の携帯にメールが届くようになった。
「ユウコは二人いらない」
それが毎日のように。気持ち悪いが、それ以上のことは起きない。
ある日親類に不幸があって通夜に出ることになる。
歩いていく途中、新しいカフェがオープンしたというので女性の店員がチラシを配っている。
受け取るとその店員がずっと後をつけてきて、名前を教えてくださいと迫る。
何度も何度も。あまりにもしつこいので名前を教えると
「ユウコは二人いらない」と言われてその店員が去っていった。
その日以来メールが届くことはなかった。
後日、カフェを探そうとしても見つからなかった。
 
もうひとつ。
ある女性が小さいころ、公園で一緒に遊んでいた女の子がいた。
しかしどこに住んでいるのかわからない。
それがある日家に遊びに来ないかという。アパートの一室。
その女の子と遊んでいるとお姉さんとお母さんが帰ってくる。
3人は優しく接するが、不安も感じる。
家に帰ってその話をするが、そのアパートは空き家だという。
その日以来女の子と出会うことはなかった。
周りの子供たちはその女の子は知らないし見たこともないと。
それが数年後、クラスに転校生が来てその女の子にそっくりだった。
しかしその女の子のことは知らないという。
気になって調べると姉のクラスにアパートのお姉さんにそっくりな人がいて、
父兄参観日に来た誰かのお母さんがアパートのお母さんにそっくりだった。
その3人は家族でもなく、何の関係もないという。
 
以前どこかで書いたが、僕の話。
高校1年の放課後、自転車で帰る。線路の脇を走っていた。
灰色のスーツを着て眼鏡をかけて黒い鞄を持った男性とすれ違う。
なんか印象に残った。
そのまままっすぐ走り続けて10分ぐらい後、商店街に入ると
またその男性とすれ違った。同じように歩いている。
位置関係からしてその男性がタクシーを捕まえて引き返さない限りそんなことはありえない。
でもいったいなんでそんなことを?
それだけのことなんだけどずっと不思議に思っていた。
それが2年生になって英語の時間、新しい先生が教室に入ってくる。
その男性だった。全く同じスーツ、全く同じ眼鏡。
ぞっとしたが、その先生が僕に対して特別な態度をとることは1年を通じて一度もなかった。
狸に化かされるってこういうことなんだなと思うことにした。
 
この3つの話、なんらかの偶然が働いてとても奇妙な形で辻褄が合ったというか、
普通に生活していてはありえないことだが、怪談として辻褄が合うようになったというか。
この世の仕組みというかシステムがバグって起きたこと。
 
その「この世の仕組み」というものがどういうものなのかはわからない。
今という瞬間、瞬間にイチから生成されているのかもしれないし、
そのとき無数にパラレルワールドが生み出されているのかもしれない、
未来の出来事も全て決まっていてその一本道をただなぞっているだけなのかもしれない。
全て作り物でおぜん立てされた中を無理やり生かされているのかもしれない。
どうであれ何もかもがきれいに整合性をもって進んでいくとは限らず、
どこかに誤差が生じて大なり小なりおかしなことが日々起きているのではないか。
怪談という形で現れるものもあれば、誰にも気づかれずに終わるものもあるだろう。
神様のような人間を超越した存在が握りつぶしているのかもしれないし、
そういう存在がないからこそエラーが起きるのかもしれない。
 
死後の世界はあるのかどうか、というのはまた別の話。
 
僕はそういったこの世界の仕組みの裏側を知りたくて
怪談本を読んでいるのだと思う。