視覚や聴覚は記録できるが、嗅覚や触覚や味覚は記録できない。
カメラとフィルム、マイクとテープといった記録機器と媒体が
嗅覚、触覚、味覚で発展しなかったのはなぜか。
いや、厳密にいえばあるだろう。
旨味とはこういう成分であってタンパク質が、こういう数値が、と研究者が開設することは可能。
でも一般的に我々がそこに記録して、簡単に再現するということはできない。
レシピと素材があればできるけど、機械がボタン一つで、とはならない。
冷凍食品を電子レンジに入れるというのができるのもごくわずかの限られたものとなる。
そもそもそういう意図を持った商品を企画・開発し、こちらがそれを買わないといけない。
つくりすぎた料理を冷凍庫に保存というのも、記録と再現というとなんか違う。
あの時食べたあの味というものを記憶以外に、あるいは
当人ないしは熟練の職人以外には再現性の低いレシピ以外に簡単に記録する方法はない。
なんでそうなったのか。
機械一つでボタン一つでそれができるようになったらむしろつまらない、という考え方もあったと思う。
料理人がレシピをもとに調理する。
季節の素材により、その時々の気候の変化により少しずつ味わいが変わる。
むしろその変化を楽しむ
正確な再現性を求めない。
あるいは思い出の中のあの味というものが結局は究極なのだ、というのもあるだろう。
店がなくなってもはや食べることのできない、
たまたまその時出会ってその後めぐり合わないというのを懐かしむ気持ち、心理的な距離感が、
おいしさの記憶を何倍にもする。
一方でそんな優雅な生活を送っているわけではない人は、食うや食わずの人は、
同じ味をどうこうなんていう余裕はない。
食べたいメニューとだいたい一緒であればそれでいい。
むしろ可能な限り、予算の範囲内で違うものを食べたいかもしれない。
触覚や嗅覚もそんなところか。
いや、ちょっと違うか。
手に触れた時の感覚や肌触りは揃えられるなら揃えられた方が良い局面の方が多いだろう。
味覚よりは記録しやすく、再現しやすいように思うがどうかな。