熊本へ(その3)

 
昨日、1月8日の続き。
 
八代市を出て南へ。南九州自動車道に乗る。40分ぐらいかかったか。
途中何度も長いトンネルをくぐった。日奈久を過ぎて津奈木へ。
つなぎ美術館では「たろう」というアーティストの現代アート的な屏風を見た後で
モノレールに乗って急斜面を上り、「重盤岩」を見に行った。
日本の奇岩百選にも選ばれていて、ごつごつした岩の上に日の丸の旗が立っていた。
モノレールは決まった時刻表がなく、お客さんが来れば運行となっているようだった。
地元の元気なおばちゃんたちが働いている。
1階の窓口でモノレールの切符(300円)を買うと
2階のカフェで手仕事をして待っているおばちゃんに声をかけて、
それがモノレールに乗ってガイドしているおばちゃんに伝わってというかなりローファイな運行。
でもみんなちゃきちゃきと元気そうで気持ちよかった。
 
モノレールには小さな子を釣れた夫婦と一緒になった。
想像以上の急斜面だった。
かつて全国で2番目の角度だったのが1番目のところが廃業してまた別のところが1番になって、
確かそういう内容の解説を聞いた。
春になれば満開の桜がきれいだという。
下りると広場がきれいに整備されている。モノレールも町営なのだろうか。
裸婦と鹿の像がお出迎えする。
展望台からは津奈木の町並みとその向こうの不知火海が見渡せた。
遊歩道の階段を少し歩いて「重盤岩」の近くまで行く。
柵がしてあるが、解説のおばちゃん曰く近くまで行くのは構わないけど自己責任ですよと。
帰りはモノレールを待たず、遊歩道を下まで降りて行った。
紅葉の落ち葉が敷き詰められている。
急角度のモノレールの線路を下から見上げる。ジェットコースターのようだった。
 
海沿いに走って赤崎小学校を目指す。
信用金庫の建物があって、橋を渡り、港の脇を通り過ぎる。船はわずかだった。
漁は行うが、今は少ないのか。
山側はミカン畑になっていた。
どっちの収入も少なかろうと義父は言う。
 
小学校が見えてきた。坂を下り駐車場に停める。
他にも3組ほどの家族が磯遊びに来ていた。
廃校になった小学校はもちろん中に入ることができない。
朽ち果てていく校舎を外から眺めるだけ。
これは何年か先に取り壊しになるかもな、と思った。
正面から見る限りは普通の海を背にした学校だけど、足元の基礎の部分が海に伸びている。
僕がここを最初に知ったのはNHK-BSの『にっぽん縦断 こころ旅』の過去の名作を振り返る回だった。
その時点では廃校になっていたのを、許可を得て中で撮影したんだったか。
 
つなぎ美術館の作品「入魂の宿」に入る。
前の日にWEBサイトから予約して、メールで届いた暗証番号を入力して建物の中に入る。
小学校のプールと更衣室がリノベーションされて宿に生まれ変わった。
真っ暗な短い通路の端と端に空を映し出す鏡、そこに石牟礼道子の詩の一節が刻まれている。
プールに出る。ビオトープとなってプールサイドに植物がわずかに生い茂っている。
プールの中央に通路が設けられ、左右の二つのスペースに分かれていた。
建物の外に出ると義母と妻が地元の方と話している。何らかの関係者らしい。
宿は今年4月から営業する。
ビオトープは今は冬なのでほぼ何もないが、春から夏にかけて相当生い茂って風景はかなり違うのだという。
 
干潮だったので目の前の島まで歩いていくことができる。
江の島のように小高い部分がある。
鳥居があって神様が祀られている。
苔に覆われた大小様々な石が転がっていて、苔に包まれた大きな岩の上を歩くと冬の青森のように滑る。
まずは小学校の建物の下の空間を歩いてみた。
いくつもの太い柱で支えられている。
その柱と鉄製の梁、コンクリートの基部、わずかばかりの配管があるだけ。
長年波に洗われて錆び付いてコンクリートもボロボロになっている。
これはいつ崩壊してもおかしくはないな……
危険だから子供たちも入らないように言われたのだろう、落書きの類は一切なかった。
 
磯に戻って波打ち際へ。
義父は熱心に石を拾い上げ、生き物がいないか探す。
カニやヤドカリを見つけていた。
 
駐車場に戻る。
子どもたちが凧揚げをしていた。
 
帰りはすぐ高速に乗って御船まで。
一時間ぐらいで熊本の家に帰ってきた。
夕暮れ。どんど焼きも終わっている。
途中から大相撲初日のテレビ音声を聞いた。
 
家に着いて大相撲の中継を見る。
御嶽海と正代など。
貴景勝、豊将龍、若隆景が勝つ。
 
夜はふるさと納税の返礼品でもらったという淡路島の牛めし、餃子など。
大河ドラマの初回を見てみる。