熊本帰省 その2

 
昨晩は土砂降りの中、軒下のバーベキュースペースの椅子に座り、
炭を育てながら缶チューハイ、缶ビールを飲んだ。
山川健一『星とレゲエの島』を読み終えた。
寝たのは午前0時過ぎ。
泊まった家は二部屋寝室があって、
片方の部屋は妻と義父母が3人で布団を並べて寝て、
もう一つの部屋はベッドがあって僕が1人寝ることになった。
 
叔父さんから聞いた話。
ここの温泉に半年間続けて泊っている人がいて、
仕事で鹿児島に来たのだという。
何の仕事かというとテトラポッドをつくるのだという。
護岸工事で何年もかかる。
大型のテトラポッドは海の上に専用の船を浮かべ、造る。
国内の工場で作って輸送するではない。
ああ、時折港湾施設の沖合に
何をしているかわからないけど高さのあるとても大きな船が停泊していて
動いているようには見えない。
あれって、テトラポッドを造っていたのかもしれない。
 
昨晩のバーベキューは手羽先がおいしかった。
義父がテレビで見たのだという。
 
6時に目が覚め、内風呂に入り、続けて露天風呂へ。
泊りなのだろう、先客がいる。
そういえば昨日最初に露天風呂に入ろうとしたとき、
まだ若い親子が男湯、女湯に分かれて息子さん、娘さんが
「そっち露天風呂ある―?」「そろそろ出ようか―」と言い合っていた。
 
昨晩の残りのおにぎりとバナナで朝食。
食べ終えて最後のお風呂。
雨が上がったかと思ったが、また小雨になった。
 
9時に叔父と義弟がそれぞれ車で来て、お世話になった宿の方に挨拶をして
ラムネ温泉を後にする。
 
近くにある和気神社を見に行った。
和気清麻呂を祀った神社となる。
駐車場に入っていきなり、日本一大きな絵馬が。
和気清麻呂と彼を救った大きな白い猪を描いたもの。
ここは藤棚でも有名で大勢の人が見に来ていた。
でもシーズンはもう終わりかな。だいぶ短く、薄くなっていた。
小田原城跡、五稜郭兵庫県大歳神社など全国20数か所の108本を集めたと聞いた。
境内には焼き鳥や団子の屋台だけではなく地元の企業と思われるお茶屋さんの屋台も出ていた。
その後あちこちで看板を見かけた。
 
お参りをする。
狛犬ではなく、猪の像が左右に控えていた。
石段を下りていくと坂本龍馬とお龍さんが日本最初の新婚旅行を行った地という看板があった。
ここには白い猪’アルビノなのだろう)を「和気ちゃん」という名前で飼っていたが、
そのお社には昨年亡くなったと書かれていた。
 
その後、縁あってかつての霧島市長の家を訪れる。
広い庭を案内してくれて、事務所へ。
ミツバチを飼っているとか、日本で二番目に大きなお茶の木があるとか、
西洋から来た日本で最初の軍馬の最期を看取ったとか。
沖縄で見られるガマが鹿児島にもあって、それを今は……、とか。
ひとつは穴を広げ防空壕として今はコウモリを飼っている。
事務所に入れば白鵬が訪れたことがあってと。
 
いやー、書けないことばかりだったけどすごかった。
鉄板の笑えるネタを散りばめつつ、
日本の未来をこう考える、こう考えたいという真面目な話もする。
そのひとつひとつに嘘がない。
小学生のときに政治家を志した話、三度目の正直で県会議員になった話。
どれもためになったなあ。
夢を諦めなければ30年、40年続ければ近づくことはできる
という話は今の僕にとてもしみた。
市会議員の方と話した事はあったが、市長の方と話したのは初めて。
貴重な経験になった。
 
義弟とはここで別れる。
午後は鹿児島市の別の親戚へ。
途中、「すまいる」という和食レストランへ。
鹿児島は黒豚だろうととんかつ定食を食べた。
 
鹿児島は山が多く、平地が少ない。
霧島の温泉郷から山の中の狭い道を上ったり下がったり。
そのうちに茶畑に出た。
右も左も、伸ばした棒の先にファンを括り付けた茶畑が。
 
そのうちに錦江湾が見えてきて桜島が。
僕が思っていたよりも大きかった。
 
鹿児島市に入る。
高台が住宅地になっていてきわどい坂を上って行く。
親戚の家を訪問して、この日は終わり。
叔父さんは近くのICまで案内してくれた。
最初のSAで停めて叔父さんとはここで別れる。
2日間、ずっと案内してくれてありがたかった。
 
そのまま高速を乗って行って
昨日も同様一度人吉で高速を出て入り直し、
八代でもまた出る。
(人吉、八代間の一般道が土砂崩れで高速道路しかないため
 この区間のみの通行ならば無料となる)
高速に戻るのが難しく、宇城まで一般道で言ってまた乗り直す。
17時過ぎには家に着いた。
 
夜は昨晩のバーベキューの残りの肉や野菜を焼いて食べる。
青森、秋田、熊本、鹿児島など。
風呂に入り、焼酎を飲んで過ごす。
エアロバイクを漕ぐ。