2024/10/08: メルカリ
Talvin Singh 「Back To Mine」 \1000
2024/10/08: ヤフオク!
(V.A.) 「We Love Butchers indie version」 \780
2024/10/08: tower.jp
Sam Smith 「In The Lomely Hour (10th Anniversary Edition)」 (\3960)
※タワレコのポイントで
2024/10/09: www.amazon.co.jp
S.Y.P.H 「4. LP」 \1169
2024/10/11: DiskUnion 新宿中古センター
空気公団 「ここだよ」 \480
Judas Priest 「Screaming for Vengeance」 \580
Fatback Band 「Yumyum」 \780
2024/10/13: diskunion.net
Dr.Feelgood 「Stupidity」 \4850
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(V.A.) 「We Love Butchers indie version」
トリビュート・アルバムというのが今も昔もひとつのジャンルを築いている。
自分が知らないだけで
「あ、このバンドも、あ、あのバンドもトリビュート・アルバム出てたんだな」
もう何年も前に。
そういうことがよくある。
有名なバンドともなるとほぼ必ずトリビュート・アルバムが出ている。
それぐらいに思った方がいいのかもしれない。
(カバーする側が有名、無名に関わらず)
トリビュート・アルバムは
・意外な人が意外な曲をやっている
・カバーを越えたカバーが生まれることがある
というところが面白い。
「声がかかったので、ちょっとやってみてます」
というのが透けて見えることもあるし、
「先輩の曲なんて、恐れ多くて……」
と単なるコピーで終わっていることもある。
そんな中、ガチで「このバンド好きだから」と
全力で立ち向かうこともある。
今回の「We Love Butchers indie version」(1999)もそう。
Naht が ”Mizu” を。
Hi-Standard が ”Crows Caw Loudly” を。
そして Cowpers が ”シチガツ”(July)を。
仲がいいからとか、友人だからというのを越えた、
素で bloodthisrty butchers という存在と
向き合い、乗り越える感覚がどのバンドにもある。
自分に引き寄せる、ではない。
正(テーゼ):bloodthisrty butchers
反(アンチテーゼ):各バンド
合(ジンテーゼ):カバー
この図式が成り立つ。
COWPERS は COWPERS にしか聞こえないし、ハイスタはハイスタにしか聞こえない。
なのに、bloodthirsty butchers ならではの
乾いた、ポップな抒情性がどの曲にも感じられる。
優れたカバー・アルバム、トリビュート・アルバムは必ずこれが成り立つ。
インディーズ編ということで
Railroad Jerk が ”10月” を、というようにいくつかアメリカのバンドも参加。
アメリカのインディーズのネットワークとのつながりが生むんだろうな。
インディーズ編ということは、メジャー篇もあって
”△” をカバーしてたりしたもんなあ。
他、Great 3 や El-Malo など。
悪いわけではないけど、インディーズ篇のクールな熱量を浴びた後だと
普通の、及第点のアルバムに感じてしまう。
その後、「We Love Butchers」はシリーズ化してさらに4枚出てるみたいだけど、
そちらはさすがに聞いていない。
さらに幅広いバンドがカバーしているのであろう……
bloodthisrty butchers は日本が誇るギターロックのパイオニアだと思う。
吉村秀樹の内面をえぐるような歌詞、メロディー、ギターのフレーズ。
僕がフジロックで見たときは Red Marquee で朝の時間帯だった。
元ナンバーガールの田淵久子がギターで加入した直後だった。
最近買ったトリビュート・アルバムだと少年ナイフの
「a tribute to SHONEN KNIFE Fork & Spoon」(2006)もよかった。
メンツがいいんですよね。
bloodthisty butchers に eastern youth に、ズボンズ。
こういう組み合わせの面白さというだけでも聞く価値ありだった。
もはや甲本ヒロトぐらいになるといいも悪いもわからない、という。